乳幼児にハチミツを与えて死んじゃった事件がちょっと話題になっていましたね。
いろいろ問題や改善点はあるだろうけど、そもそも乳幼児ってやつはハチミツ程度で死んじゃうような、ぽろぽろ生まれてきてぽろぽろ死んじゃう弱い生物なんだってことをもうちょっと自覚したほうがいいんじゃないかなって思った。
魚、ごま、ソーセージ、はんぺん、ちくわ、水道水…
調理器具もスプーンも全部消毒して、食材はすりつぶして裏ごししてスプーン一杯しか与えちゃいけなくて、じゃあ子供に食べさせていいものってなんですかね。めんどいからいっそ点滴でも与えときゃいいんじゃないっすかね。
子供が死ぬのなんてすごくあたりまえのことで、10人生んで一人生き残ればラッキーくらいのもんじゃん。それを100%生きるのがあたりまえみたいな現代の子育ては難易度ナイトメアと化している。
私は私の子供にいくつかの予防接種を受けさせていない。
哺乳瓶の消毒もしなかったし離乳食だって口移しでやってた。
でも予防接種を受けさせるかどうか相談されたら、問答無用で全部受けとけって言うし哺乳瓶は消毒しとけってアドバイスしてる。だって普通の人って死んだり障害を負ったりすることに対する覚悟が全然ないじゃん。まさかうちの子が死ぬなんてありえないって思ってるじゃん。だったらなーんも考えずに医療と国の言うこと聞いといたほうが精神衛生上いいんじゃない?て思う。
予防接種を受けようが受けまいが、ハチミツを食べようが食べまいが死ぬときは死ぬ。子育てなんか博打でしかない。どうせ死ぬときは死ぬんだから、私達にできることはせいぜい死に方を選ぶ程度だ。
予防接種の副反応で死ぬのと、予防接種せずに死ぬのと、どちらのほうが納得いくか。あるいは国や世間様の指示を遵守したにも関わらず死ぬのと、自分の本能を信じた結果死ぬのと、どちらが納得いくか。結局そこで判断するしかないんだと思う。
あと、確率を持ち出す人もいるけど、疫学としてマクロで考えるときに確率論は有効だけど個人レベルにおいて確率は無意味だと私は思う。
マンボウみたいに数億匹子供を産んで数億回の試行をできるならともかく、私にとっての子供は私の子しかいないわけで、せいぜい数回の試行しかできない中で1000分の一と100000分の一の違いなんて意味無い。1000分の一と100000分の一の違いを実感するには少なくとも10000回くらいは試行しないとじゃん。1回とか2回の試行じゃどっちが1000分の一でどっちが100000分の一かなんてわかんないよ。別にどっちがどっちでも変わんない。
これがたとえば、予防接種しないと90%が死ぬけど、予防接種すると0.01%が死ぬ、とかくらい大きな差があれば個人レベルでも実感できると思うんだけど、小数点以下何桁みたいな範囲だと疫学専門のドクターとかレベルであれば実感できるけど個人じゃよくわかんないな、って自分で子供育ててみて思った。結局強い固体は何しても生き残るし弱い固体は何したって死ぬときは死ぬんだからもう天命だと思うしかない。
ただこの辺りの数字感覚って個人差がすごく大きいところだろうから、1000分の一と100000分の一の違いがすごく実感できるって人もいるだろうし私みたいに良くわかんないって人もいるだろうし、別にどっちでも自分にとって納得いく方法を選べばいいんじゃないかなと思ってる。いいじゃんべつに死に方くらい勝手に選べば。
「私の子は私の不合理な選択によって死んだor重い障害が残った」って恥じることなく言い切れる強さがあるなら、ハチミツも離乳食も好きにすればいい。ていうか私は好きにした。
ただまぁ私がその考えに至るまでにはかなり独創的な人生経験を経てきたわけでそれを一般化しちゃいけないなと思うので、病院大好きな人は病院に頼るといいんじゃないかと思います。
追記
こんなブログを判断の基準にする人はいないと思うけど、一応追記。
予防接種は他人への感染を防ぐという意味合いもある。その意味合いの有効性はどうにもキナくさいところもあるけれど、少なくとも予防接種推進派の人は「いついかなる場合にも予防接種は有効な手段である」と信じている。その中でうっかり日本脳炎やはしかの感染源になってしまったら「あいつが予防接種をしなかったせいで感染症が広まった」ということになる。無駄に他人の逆鱗に触れるのはお互いにとって不幸だ。
というわけで予防接種はしといたほうがいいんじゃないかなと思います。