雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

憎しみから抜け出す道筋を知らない人をどうするのか問題

わけもわからずその日を生き延びるのに精いっぱいだった時期には考える余地も無く全てを合理的に処理するしかなかったけど、最近余裕が出てきてからはせっかく人間として生まれたんだからなんでもかんでも最短距離で解決せずに分かりきった結末に向かって足掻くのもまた一興だと思うようになった。推理小説をあえて速読せずに一行づつ読むように、シェフを呼ばずに自分で食材を揃えて時間をかけて料理するように、人生には回り道があったほうがいい。

 

くらいのスタンスで、怒ったり笑ったりお気持ち表明したりしてみている。能率が悪ければ悪いほど趣味としては優秀なわけで、憎い相手に憎いと噛みつくにのは趣味としては相当コスパがいい。多分これは私の欠けすぎた情緒を育てるために必要なプロセスではあると思う。

 

でもたぶん、本当に本気で憎いとか嫌いとかいう気持ちをどうやって処理していいか分からずに憎しみをぶつけることしかできない人というのがいて、そういう人は私が気まぐれに地獄ごっこしている横で本気の地獄にいるのだろう。

なんかもう、嫌いな人に関わるのやめればいいのに。ていうかそれしか解決方法無いのに。もしかしたら最終的に和解できるかもしれないけど、和解の前に必ず絶縁を通らなくてはいけないんだからさっさと絶縁したほうがいいのに。親に愛されなかった云々というなら親を捨て、子が反抗するなら子を捨て、女に選ばれないなら女を捨てないと話にならない。

 

強い感情に飲み込まれそうになったときに信念や情念はまるで役にたたなくて、おいしいごはんだったり、相性のいいマッサージだったり、他人に髪を洗ってもらうと妙に気持ちいいだとか、ふかふかの布団の誘惑だとか、なんかそういう些細なものの積み重ねでしかないと思う。

 

 

 

 

伝わらない愚痴n周目

今日も安定して伝わらねえ…!

いろいろあったけど通常運転で愚痴ります。

頭がよければわかりやすい説明ができるとかないから。どんだけ高度なことをやってると思ってんの。


私は塩基配列のような記号と数字の羅列の生データがあれば3000くらいのパーツを脳内で組み立てて稼働させてどこがどのくらいの速さで摩耗するか精度が必要なところはどこかどこをどうすればもっと強度が上がるかがわかる。0.2mmくらいまでのズレなら肉眼で判別できる。乱視のくせに。たぶん目しゃなくて手触りでわかるのだと思う。だから見えてない部分のズレもわかる。
ここのシャフトを2mm 太くすれば稼働時間が50くらい上がるとか、ここを0.3mm削れば精度が上がるとか、200万のアプリでもわからないようなことを言う。あと配置のズレによる不具合ならカバーの上から撫でれば直せる。パソコンが重いとかでも直る。だって結局電気の接続の問題だし。そういう意味では電子機器のが得意。

そういうのはわかるものはわかるんで、なんでわかるか聞かれてもそうなってるからとしか言えない。
だって見ればわかるじゃん。大きなコップのが沢山水が入るし大きなケーキのが腹持ちがいいとかと同じ。この宇宙の物理がそうなってるからだよ!

光なんてみんな知ってるけど、じゃあおまえ一般相対性理論をわかりやすく説明できんのかよ。将棋のルールなんてだれでも覚えられるけどじゃあ羽生の次の手わかんのかよ。この世では人間ごときのスペックでは理解不能なことが大多数なんだよ未知と同居する覚悟を持て。



訓練しない感覚は過敏にすぎなくて、私なんか普通に学校教育を受けてたらただの感覚過敏で頭のおかしい人にすぎない。たぶんこういう人はわりといて才能を腐らせているのだと思う。センチネルのガイドみたいなのが実在するなら切実にほしい。
人間は結局自分の脳から出ることはできなくて、自分の感じ方しかわからない。私にとって世界は精密な立体だけど他の人の世界はたぶんマンガみたいな簡単なイラストで、誰にも見えないものを見ているという意味で私は狂人だ。
ほんともうなんでこんな簡単なことが分からないのだろう。嫌になる。

増田さんへ。自分の気持ちを書いてくれてありがとう

たぶん私の記事にも反応しての増田なのかなと思うので返事を書いておく。

 

朝忙しい時間に書いたので、いろいろ追記しました。追記は下線。

追記の要約としては

「増田のどこが女に癒してほしいなのか、人間扱いしてほしいだけ」

そういうとこだぞ。ということです。 

 

anond.hatelabo.jp

まず、増田さんの傷つきは間違っていないし、女性も同様に加害者であり意識改革が必要というのもその通りで、それは自己責任として耐えるのではなく構造を変えるべき問題です。増田さんは悪くないし、増田さんがこれ以上傷つかないですむ社会を目指すことは可能です。

信じられないかもしれませんが、私と増田さんは同じことを言っています。

男性の容姿や仕事などは揶揄していいという風潮は根強くあって、女性がセクハラに傷つくのと同様に男性も傷つきます。強くあれという男性ジェンダーゆえの苦悩もあるのだろうと思います。

10代の頃に顔に皮膚病患って、女子からキモイキモイの大合唱くらって、嘘告白で物笑いにされた。

耐えかねて担任の女教諭に告発したら、男のくせに情けないと言われて女子たちには何も咎めがなかった。

 

これらは増田さんのせいではなく、増田さんを揶揄した人のせいですし、それを訴えても聞いてくれなかった教師のせいですし、彼らがジェンダー規範に基づいて差別行為をしたのであればジェンダー、つまり男性も女性も含めた社会の構成員の問題です。私はこの話に出てくる女子や女教諭を擁護などしません。決して「男同士で苦しめあってるだけで女は何も悪くないし意識を改める必要なんてない」なんてことはありません。個としての女性も、集団としても女性も男性と同様に間違うこともあれば残虐なこともあり、それは正すべきことです。

 

で、私が言いたいのは、要求するラインを間違えてはいけない、ということです。

被害者が加害者に要求できるのは「これ以上加害するな」という1点のみです。そのラインの範囲内において、個人に態度を改めるよう要求することも、社会に規範を変えることを訴えるのも、SNSで誰かを晒し上げにすることその他諸々も、正当性があります(もちろん過剰防衛には十分注意したうえで、ですが)。

万引き犯に要求できるのは「万引きするな、店に来るな」という点であって商品を買えだの上納金を貢げだの言うのは不当な要求です。

同様に、差別する人に対して要求できるのは「差別するな、関心を向けるな」であってチヤホヤしろとか受け入れろとかではない。

女性を殴る男性に要求できるのは「殴るな、近寄るな」であって殴りたくなるほど嫌いな女性を優しく包み込み受け入れ三食昼寝つきで養え、ではない。

男性を揶揄する女性に要求できるのは「揶揄するな、無関心でいろ」であって、経済力が無くても容姿が悪くても配偶者として選んでくれだとか優しくにこにこ話を聞いてくれだとか尊敬してくれだとかではない。加害者に対して要求できるのは路傍の石を眺めるような無関心だけであって、それ以上のケアは自分でするしかない。

だいたい、これまで嗤いながら殴ってきたようなやつに優しくしてほしいなんて冷静になってみたらおかしなことです。暴力を振るような奴は大嫌いなのが当然で、大嫌いな奴が尻尾を振って来たって不快なだけです。

 

女が自分より下と見た男や自分の眼鏡に適わない男はどんなに蔑んでも虐げても赦される、それで傷ついたらその男が弱いだけ、そもそも女に攻撃させる男が悪い、、、、

そんなこと言っていないから。少なくとも私は言ってない。 

私が言いたいのは、被害者である増田さんの傷つきを加害者であった女性に癒してもらおうとするなということです。 あるいは、男性ジェンダーの傷つきを解消するために女性ジェンダーの承認を必要とするなということです。

 

追記

増田さんは過去に誰かに加害されて、それが女性だった。で、男性の容姿は揶揄してよいという風潮がある限り増田さんはまた誰かに嗤われるかもしれない。その解決方法として

今の職場になんとか正社員として入社できて、人手不足も逆手に取って必死に結果出して役職もらえて、女の社員が声色変えて話しかけてくるようになったときようやく「女性と対等になれた」って思えたんだよ。

というところに、強烈な認知の歪みが発生していませんか。なぜ「声色変えて話しかけてくる」が「対等になれた」なんですか。なんで憎いはずの女性に話しかけられるのがゴールになってしまうんですか。私なら私を加害した人が私のスペックが上がったからといって「声色変えて話かけられて」こられたら殴ります。殴りました。許せない以上それが普通じゃありませんか。

加害者と被害者という関係性を抜け出す必要はないし、増田さんが女性全般を憎んでいるのなら許す必要はありません。ただし、その構造を温存する以上、お互い空気のように、石の裏のダンゴムシのように 無視しあうしかありません。出会ってしまったらまたそこで加害/被害が始まる。

 

増田さんが女性への憎しみや恨みを持ち続ける、また、加害者の人が増田さんの容姿をあげつらう心理を改めない以上、対等な人間扱い、つまり完全無視以外に解決方法はありません。

 

追記ここまで 

 

こっちは女に植え付けられた嫌な思いを振り切るために必死で働くしかなかったんだよ。

正直言って全然有能じゃないし、コミュ障だし会社務めに全然向いてない、仕事なんてちっとも楽しくないし辛いだけだと思ってる。

でも今の職場と地位を手放したらまた元通り、その恐怖で仕事にしがみついてる。

 この恐怖を解消するのは、女性が態度を変えるくらい自分のスペックを上げることではありません。

男性の容姿や能力をあげつらうのは当然のことという構造を内包したまま外見のスペックを上げて復讐しても、加齢や病気でスペックが下がったらまた同じことが発生します。ご自分でも自覚しているように、加害されない環境を手に入れても次はそれがいつ奪われるかと戦々恐々とする日々が手に入るだけです。

だから男性は(女性も)弱くていい、美しさや稼ぐことが人間の価値ではないと言い続けなければいけないのです。

手前味噌ですがわりと言い考えじゃないですかKKOハウス。私はKKOハウスから遠く離れた土地にKKBハウスを作ります。キモかろうが金がなかろうが人生は楽しくやれます。お互い嫌いな奴の存在なんか忘れて毎日楽しくバーベキューして暮らせばいい。それができないのであればセーフティネットが足りない社会が悪い。投票に行きましょう。精神的につらいのであれば社会規範が悪い。ネットで手斧を投げ合って自分自身と他人の認識を少しづつでも変えていきましょう。

 

たぶんそうやって社会は変わっていくのだと思う。

 

 

 

 

 

 

男性が生きずらいのを女性のせいにするのをいいかげんやめてほしい

追記 

昼寝して起きたら人気者になってた。

どうもこんにちは初めまして。ネットで過激なお気持ちを垂れ流すひらがなすらまともに書けない狂犬です。

こんな意識の低い文字群が誰かの何かを考えるきっかけになったのならよかったです。でもみんな疲れてない大丈夫?カルシウムとって運動と瞑想して早く寝なね?

 

 

 

あんまりにも酷い記事をみたので。

 

男性のつらさの構造|すもも|note

男性は女性に比べて犯罪率も自殺率もかなり高くて、たぶん女性とは別の種類の生きにくさがあるだろうというのは分かる。それが煮詰まってしまうと最近大きく報道された通り魔や息子殺しに到達してしまうのだという考察も必要だと思う。

でもさ、いいかげん男の生きずらさ対策として女にケアを求めるのやめなよ…現実見ようよほんと……

なんかもういいかげん「がんばる」以外の選択肢を考えてよ…

 

男性のつらさからの解放:①女性の意識改革
女性が自立心を持ち、経済力の獲得に積極的になり、経済力を持たない男性と支え合う気持ちを持つようになれば、男性は配偶者獲得や維持のために過度な経済的なプレッシャーを考えなくてもよくなる。

気持ちの問題じゃねーんだよ。子供一人2000万、幼稚園にすら入れずマミートラックに強制的に乗せられて、育休を取ったら解雇され、男性を多く雇用する企業が女性を多く雇用する企業の福祉にフリーライドするような状況で『男性と支え合う気持ち』を持てとか、女性はお前のママじゃねぇよ。もしママだとしても全てを捨てて子に尽くす義理はねぇよ。だいたい結婚と企業の厚生システムにセーフティネトが集約されている現状が問題なのであってだな。気持ちで全てが決まるなら景気回復を実感できないのは感性の問題ってことでいいですね。

そこでやるべきは女性に意識改革をしろと求めることではなくて子育て支援に積極的な政党に投票するとかデモやるとかですよね。結婚できない女性が優しくしてくれないとぶーたれてる男性諸氏は、ケア労働、子育てや障害者支援などを手厚くする福祉運動に一度でも関わりました?

女性は「暴力的な男はいらん」「くだらない男に頼らなくていい社会構造を」と主張してきました。過激な人ですら「男は死ね」はあっても「女がモテないのは男のせい、女に男をあてがい、あてがわれた男が女を養うのは当然の権利」とか言っている人を私は見たことが無いんですが。

なのに男性は「俺を選ばない女が悪い、考えを改めろ」と主張するのですか?他者の思考を支配できると思っているなら、やはり男性は非常に高い下駄を履かされいるのでしょう。

 

一部のフェミニストはオタクカルチャーに対して不条理なまでの攻撃的姿勢を見せている。このような行為は自己愛が高さが関連している。親に過保護に育てられ良質な環境に慣れた結果、さらなる快適を求める結果、オタクカルチャーで精神安定を図っている男性のライフラインまで奪おうとしている。

んんんんーーーー。そういう風に捕えちゃうのかぁぁぁぁぁ……

過保護に育てられ良質な環境に慣れた結果、って、痴漢に尻を触られないとか夜道を歩いていても殴られないとか、男性出ればごく当たり前に享受している最低限のことを求めてるだけなんだけど。なんで自分の属する性が凌辱されているポスターやら写真やらを公共の場に公然と掲示することまで許容してやらねばならんのだ。

いやでも一部の過激な主張をする人たち(フェミニストとは呼びたくない)がいて、エロは全て燃やし尽くせとか言っているのはやりすぎだと思う。私にとっての絶対悪でも誰かにとっては悪ではないということは許容すべきだ。ただしそういった過激な主張に至るのは決して「女が甘やかされたから」ではなくて、その程度すら許容できないくらい過酷な状況を生きているからです。そこまで過激になってしまう女性の置かれた立場を1mmも理解しないくせに男様のお気持ちは尊重してくれなきゃさべつぅぅぅぅ!って言われたら温厚な私でもさすがに死にさらせと思うよ。

 

ただし「男性のつらさを理解してほしいのであればまず女性のつらさを理解せよ」という私の主張は私自身にもつきささるブーメランであることも理解している。女性のつらさを理解してほしいのであればまず男性のつらさを理解せよと。それは分かる。

そして強さを社会から要求される男性というジェンダーは常に勝ち続けなければならず負けてしまえば絶望しかないという構造自体はぼんやりとだけれども理解はしている。それに対して男性ジェンダーを降りればいい、降りた男性を差別はしない。という提案は、すでにエマがしている。

でもそこで男性の反論が「男性ジェンダーを降りたら女性に相手にされないからヤダ」「女性に相手にされなきゃボクチャンお友達作れない」ってなんかもう。。。

結局男性にとってケアは女性によってのみ与えられるという発想から一歩も出ていない。

 

 

なんでそこで解決手段として女性に選ばれることを至上としてしまうかな。

そりゃ腐るほどの金塊があれば大抵の問題は解決するよ?でも金塊手に入らないじゃん。だったら金塊が無いのは差別とか言って殺人に走るより、金塊以外の着実な方法を探したほうがいいじゃん。

とりあえずKKOがあつまってKKOハウスでも作ったらどうですかね。でもそういうのはプライドwが邪魔してやらないんでしょ。結局弱者であることを認められないことが問題で。それは自分自身で解決しないといけくて、お前のプライドを癒して差し上げる義理は誰にもない。

 

医療をみても福祉をみても、俺は悪くない悪いのは他者だというタイプはほんとうにだれがどうやっても救済できなくて見捨てるしかなくて、どうすればいいんだろう。

 

 

 

 

潔癖処女だと思われる

なんか、セックスの存在すら知らない処女だと思われる。

なんでや。私は処女懐胎したんかそれとも単性生殖か。ナメクジかなるほど。

でもある程度親しい人にはきつめのSだと思われてる。

私の自認としてはどっちかというとMだと思ってるけどMですって言うと、はははこやつめ全世界のMに謝れこのスーパー攻め様がと言われる。解せぬ。

 

とかいうのを、こないだ酔った勢いでブクマ全部ぽちった同人誌が届いたら8割が右三日だったのを眺めながら考えていた小夜歌至上主義のhedgehogxですこんにちは。お小夜は天使。

 

多分一般的なセックスや恋愛というのは未知の相手に夢見るみたいなのがデフォルトで、だから多くの人は「よく考えもせずに」異性愛者になってしまえるのだと思う。よく考えずに相手を選んでいたら「結果的に」異性ばかりになっていたとか、よーく考えて試行錯誤したうえで異性愛者という「自認を持つに至った」というのならわからないでもないけど、「深く考えずに手近な相手を選ぶ」のであれば、わざわざ接触する機会の少ない異性ではなくて同性を選ぶほうが私としては自然に感じる。でも恋愛脳のウェイは異性というよく知らない存在を一番身近な他人として選択する自身の不合理を自覚しない。

だからたぶん、一般的にいう恋愛というのは異性という自分とは違う存在に勝手にいろいろと投影して幻想をみている状態のことなのではないかと思う。

少女マンガに出てくるイケメンでスパダリな王子様キャラだとか、男性向けエロに出てくる昼は淑女夜は娼婦だとか、なんかそういう風に異性を自分とは全く違うファンタジーだと思うからこそ自分の願望を投影できてしまう。メディア世間一般で言われている恋愛と実際の人間関係は違うので、現実的には幻影を投影している人は少数派かもしれないけれど、とにかく漫画や映画や新聞やニュースではそういうことになっている。

 

そもそも、挿入する/されるという非対称性が非常に強固なテンプレとされてる時点で、やっぱり共通幻想としての恋愛は自己の願望を投影することなんだろなと思う。

 

昔、住所不定の逃亡生活をしていたときに女性だけの職場にいて(察して)たまに荷物を持って来る男性にとてつもない魅力を感じたことがある。びらびらした着心地最悪な服で常に爪や髪を気にして相互監視の中汲々と生きている薄暗い洞窟の中で、汚れを気にしないジーンズと運動靴で重い荷物を軽々持つ太陽のあたる広い『外』の匂いのする存在は、纏足みたいなハイヒールとコルセットみたいな服でボンレスハムのように締め付けられた私とは全く別の生物のように感じた。もしあのとき彼が私に微笑みかけて一緒に逃げようと言ったら何の迷いも無く私の全てを捧げていたと思う。

まぁ冷静になってみればあんなのただのヤンキーなんだけど。

 

たぶん、何も考えずに異性愛者やってるタイプの人というのはあのときの私のように、自分ではない存在に自分の願望を投影していて、そういう思考の中では挿入する/されるという非対称性を崩されることは自分の願望を否定されることで、だからセクシャルに関するマイノリティを見ると不安を煽られて迫害に走るのだろう。

 

あと、普段私は愛でたい甘やかしたい対象が右側な本を読むんだけど右三日に関してはあのおじいちゃんならたいていのこと経験してそうだから何やっても対称性が担保されるという安心感で読んでる気がする(すごくどうでもいい)

 

 

 

で、そういう非対称性こそが恋愛という価値観のなかでは、対称性にとことんこだわる私の選ぶ人間関係は恋愛にカウントされなくて、そういう意味では私は恋愛もセックスもしたことが無い。そのあたりがにじみ出る喪女臭というか処女臭になるのではないかと思った。

自己の身勝手な願望を投影するとか5歳のときにすでにうんざりしてたんで、恋愛が投影なら私は一生処女でいいや。

 

縄酔いについて一言いいたい

最近、攻撃性が自己に向く場合と他者に向く場合は何が違うんだろねというような話をいろいろな人としています。それで話が逸れてSMのことになったんだけど、とりあえず縄酔いについてはいろいろと言いたいことがある。

n=1の個人の感想です。

 

 

 

まず

解説。

縄酔いというのは、SMなどで体を縛ったときにたまに起る酩酊感のことです。たぶんsubspaceも同じ意味。人によって縄酔いの定義は違いますが、私の場合は浮遊感や脱力、瞑想状態のような、意識はあるけどどこか深く眠っているような状態のことを縄酔いと言っています。

 

つぎに

大事なこと。

縄酔いはSが起こすものではなくてMの人が自分で選択してなるものです。

信頼関係が壊れるだけでなく怪我や事故の危険も伴うため、間違っても縄酔いを起こすことを目的にしないでください。SはサービスのSでスレイヴのS。

 

 

そして

今回いいたいこと。

  1. 縄酔いと、酸欠と痛みでエンドルフィン出るのは全然違うから
  2. AVの縄酔いを真に受けるなあれ全然違うぞ
  3. 性欲は縄酔いに必須じゃない
  4. 縄酔いは縄がなくてもできる。もちろん蝋燭も鞭も罵倒もいらない。

 

 

最後のやつははもはや #縄酔い とは みたいなことになってるけど。

でもなんか、縄酔いはもう縄を手に取った瞬間にじわじわはじまるので、たぶん縄を使った縄酔いでも縄は必須じゃないんだろうなという気がしているしセックスと酔いは全然違う。

 

酸欠や痛みによるハイと縄酔いを同じものと定義する派もいて、そういう人たちはきつく縛ったり吊るしたりするけど私としては痛みでハイにするのは縄酔いじゃないと思う。体の状態が全然違う。痛みだと瞳孔が開いて呼吸が浅くなって交感神経でハイになってる感じがして、縄酔いだと瞳孔は閉じ気味で呼吸が深くなって副交感神経でハイになってる。あと、交感神経のハイだとじゃぱじゃば!ぼっきーーーん!みたいな感じで副交感神経だともっとぬるっとまったりしてて、全体的にリラックスした猫みたいな感じになる(つたわれ)

あと縄酔いすると縄を解いたあとも起き上がれないくらいぐったりするけど、酸欠やエンドルフィンでぐったりしてるとほんとに起き上がれない。でも痛みや興奮を伴わない酔いだと、動けるけど動きたくないから動かないという日常であまりない感覚になるのでやっぱちょっと違うと思う。

 

いや痛いの大好きっていうのもわかるし痛いのいいけど、たぶん関係性に痛みは必須じゃない。痛いの嫌いじゃないけど、安全な範囲で痛みを発生させるのは解剖や医学的な知識と経験がかなり必要だし、痛みはすぐ麻痺してエスカレートするので、ハイになれるほどの痛みを求めるといつか壊してしまいそうだから私はしない。最悪死ぬぞ。。。

でも痛いの嫌いじゃないしむしろ好き。

あざができても快感に変換できるくらい痛み耐性が強くなった子に、ちょっと歯を立ててあげただけでいけるくらいまで痛みの閾値を下げてあげるのが個人的には好みです。あまりに接触過敏になってて撫でるくらいだと不快刺激になってしまう場合は痕が残るくらい強めに拘束して脱感作を目指すこともあるけど、基本的には強い刺激へとエスカレートするのではなくて逆に刺激を落としていくのがSの醍醐味だと思うんだけどあまり同意されなくてさびしい。

 

上手いMの人なら何をしてもわりと簡単に痛みを快感に変換してくれます。それがなんか私の求めているものとはちょっと違う気がしてしまう。私はMは最初から最後まで満足のMであってほしいし、稚拙なSに合わせてくれるよりはちゃんとわがまま言ってほしい。わがままを貫いた結果が痛みだというタイプのMの人にはちゃんと痛くするけど、痛くするならべつに私じゃなくてもいいかなー…と思ってしまったりします。

 

 

 

 

なにを言ってるんだ私はよ。

 

ただなんか、セックスは入れて出してSMは縛って罵倒するみたいなテンプレだけで関係性が終わるわけじゃないんだと主張したい。

 

 

今回一番言いたいこと

私好みの縄酔い小説くださいおねがいします。

 

 

 

包丁を持って暴れる心理に至るまでの過程を説明してみる試み

一連のひきこもりや家庭内暴力まわりの殺人事件で、どうにか加害者や被害者にレッテルを貼って自分には関係ないと裁断処理したくてたまらない人がいるようです。でも人はわりと簡単に狂うし、狂ってしまったら当事者にはもう止められないし、真実は人の数だけあるし、なんていうか人間なんてアメーバよりも生命力が低くてすぐ壊れるのだというのはもっと知られるとよいと思う。

 

ということで、私が狂気に至るまでの道筋を説明してみる試みです。でもうまく説明できる自信は無い。また、私自身は加害はしたことがありますが、殺害に至る暴行はまだありません。私の起こした加害に関しては許されるものではなく被害者への償いと私の罪は一生背負ってゆくものと思っています。

 

長い文章ですがつまり何が言いたいかというとキチガイは生まれながらにしてキチガイなわけではなくて環境が整えば誰でも例外なくキチガイになるということです。

キチガイの行動を一般人が観察した文章や、キチガイキチガイの文脈で書いたキチガイじみた文章はわりとありふれているのですが、キチガイが一般人に分かるような文脈で狂気を説明した文章は少なくて、だからこそキチガイは一般人とは全然別の生物のように思われてしまうのではないかと考えてちょっと書いてみようと思いました。

でもよく考えたら私がすでにレアケースの塊なので私の事例を書いても一般化はできないのか…でも他人の事例を暴露するのもまずそうだし……まぁいいや深く考えずにつらつら書いていきます。

 

 

 第一段階 解離性同一性障害

私の狂気には段階があります。第一段階では私は油で揚げられている最中のコロッケみたいな気持ちになります。コロッケなので目も耳も無くて、周りの油がじわじわと温度を上げていって、あーこのまま温度があがったらかりっとフライになってしまうなぁという気持ち。でも所詮コロッケなので熱いとかフライになりたくないとかそういう思考は無い。ただただ油の温度が上がっていくのを感じているだけ。みたいな。

そしてこの気持ちが強まってくると解離性同一性障害が発生します。

コロッケな私がぼやーっとフライにされている間に私以外の人格が表に出てきて面倒な仕事を勝手に片付けてくれて、コロッケ状態が解除されると目の前に仕事の成果だけが残っている、ということがわりとよくあります。コロッケは所詮コロッケなので時間の概念がありません。下手すると何年もコロッケやってて気づいたらがらっと環境が変わっているなんてこともありました。

これだけなら離人や健忘なのですがなぜ私はこれを同一性障害と表現するのかはまたちょっと別の話なので別記事にしたいと思います。

とりあえずこの現象に関しては、発表会で緊張して頭が真っ白になるとかそういうのと同じ感じです。

 

 

第二段階 転換性障害

解離性同一性障害の状態では、コロッケになっているのは私の心理だけで、私自身はきっちり仕事をしていました。でもさらにストレスが加わるとコロッケ状態が表に出てきてしまいます。つまり、身体機能を低下させて昏睡状態のような感じになります。平らく言うとこれは過労で疲れて爆睡してる状態なんですが、下手すると呼吸や排泄すら危ういくらい意識が低下するので、ここまでくると入院を検討するレベルです。以前一度めちゃくちゃなストレスがかかったときに人前でこの状態になってしまって医療保護入院したことがあるのはこのブログにも書いたことがあります。

ただこれは単に死ぬまで寝てるだけなので私自身としてはそんなに困ることでもありません。しょせん私はコロッケなので、揚げられようが食べられようが別に関係ない。そこで関係ないと言えてしまうこと自体が異常であり障害であるとも言えますが、べつに私自身が困ってないならそれでいい。

このあたりまでは目立った奇行などもなくわりと普通なレベルだと思っています。

 

第三段階 幻聴幻覚

さて一気にキチガイじみてきました。

コロッケは大人しく寝ているだけに見えますが、精神の防御力が極端に落ちている状態なのでけっこう危うい状態です。この状態でさらに追い詰められると幻聴幻覚が発生します。具体的には、殺せとか死ねとかいう人の声が耳元でうわーっと聞こえるとか、他人の顔が鬼に見えて襲われると思い込むとか、なんかそういうテンプレなあれです。幻聴幻覚は人によって様々な種類があるらしいですが、私の場合はあまりにテンプレすぎて笑ってしまうほどでした。

幻聴幻覚はキチガイの代名詞のようになっていますし、普通の人はまず起こりえないとされているため裁断処理されやすい部分ですが、これはよくできたホラー映画を見ている状態だと考えてみると分かりやすいのではないかと思います。

 

夜中にホラー映画を見てしまうとトイレに行くのが怖くなる、というのは大の大人でもわりとよくあることです。理性は映画の中のゾンビは作りものだということは理解しているけど本能の部分がゾンビを信じてしまっている状態です。本能は画面越しの映画ですら現実と混同します。もっと強烈な体験、たとえば腐乱死体を実際に見てしまったとか、殺人鬼に狙われたとかいう人が夜中にひとりでトイレに行くのが怖い、というのを気のせいだと笑う人はいません。

私は窓辺に立つと連れ去られる妄想を持っていますが、これは昔親族にストーカーされていたときに実際に窓から攫われた経験があるからです。このように明確な因果を説明できる場合、妄想は妄想ではなくPTSDと理解されます。ですが私が窓辺と恐怖の因果を説明できるようになったのはごく最近です。それまでなぜ窓辺に立てないのか私自身にも理解できませんでした。この状態で無理に説明を求められたら、誰かに狙われている気がする、窓から攫われて恐ろしい目にあわされる、としか言いようがありません。もし私に自分の状態を十分に分析説明できるだけの言語能力が無ければ今でも私の恐怖は妄想とされていたことでしょう。

 

よく精神病患者が幻聴や幻覚がほんとうに聞こえてくると主張しますが、あれは逆です。完全に現実だと信じ込んでいれば主張する必要を感じない。本当なのだと主張しなければいけないということは自分自身もどこかでこれが現実ではないと分かっているからです。

つまり精神疾患とは幻聴幻覚が現れることではなくて、幻聴幻覚を現実に紐付けて説明できるだけの言語能力や知能の欠如です。私個人としては、精神疾患とは知的障害や適応障害の一種だと思っています。

十分な知的能力を持っている人でも、過酷な状況に置かれれば処理できずにフリーズします。つまり狂気は誰にでも起こりえます。

 

さらにややこしいことを言うと、幻聴幻覚の理由というのは関係者が納得できさえすれば真実である必要はありません。

私が親族に拉致監禁されたというのは私の主張で、当事者の親族に話を聞けばまた別のナラティブがあるでしょう。おそらく「頭のおかしい娘を人様のご迷惑になるまえに家に連れ戻した」とかそんな感じの。

ここで親族ではなく私の証言が信頼されるのは、ひとえに私の社会的地位や人脈が相対的に高いからにすぎません。私は私のホームグラウンドではそれなりの地位と信頼を得ていますが、もし生家に帰れば気のふれた娘として座敷牢に閉じ込められます。今私が自由に外を出歩けているのは私の生家より私の人脈の方が強いからにすぎない。私は現時点でゲームの勝利者であるにすぎなくて、このパワーバランスは状況によって簡単に覆ります。たとえば親族の相互扶助が憲法に記載されたら即詰みです。

なので不謹慎ですが、ひきこもり殺人がこのタイミングで起こったことにすこしほっとしています。事件は痛ましいですが、家族で弱者を扶養するというのはゲームの敗者の逃げ場を塞ぐことで、それをされてしまうと勝者も敗者も逃げられない、という危機感をまだ後戻りできる段階で多くの人が持ったことで救われる人は多いと思う。

 

第三段階(最終) 自傷他害

おそらく多くの人が思い描くキチガイのイメージに一番近いのがこれだと思います。つまり妄想に支配されてわけのわからないことを叫びながら包丁を振り回す姿です。

 

攻撃的な妄想や幻覚があっても必ずしも実行に至るわけではありません。衝動と実行の間には大きな溝があり、大多数の人は暴力を振るったことはないと思います。

でも、条件が整ってしまえばその溝は簡単に埋まります。

 

これはたしかこのブログには書いていなかったと思うのですが、私は自分を責める幻聴が聞こえて他人の顔が鬼に見えた時、速やかに警察に行ってそこから入院しました。アレです。中二病でよくある、俺の理性が保つうちに逃げてくれってやつ。たぶんあのままだったら確実に殺人を犯していたし可能であればそうなるまえに自殺していたと思う。

でも、自己効力感がないと自殺という発想に至れません。このあたりも少し想像しにくいところかもしれませんが。殺すなら一人で死ねといいますけど、まず自己を認識して、自分の体は自分でコントロールできるのだという感覚を保障されないと自死という発想は出てこない。痛みも寒さも空腹も屈辱も恐怖も全てが他人に与えられる生活をしていると自分という感覚がなくなります。

考えてみると、自分の存在が分からないというのが他害に至る要因なのかもしれない。だから私は一時期やたらに自傷していたのかもしれない。

 

自分の感情は自分のもの疑い無く思えている人にはなにを言っているか分からないかもしれません。このあたりはもう少しよく考えてみます。

 

 

 

 

ここまでくるとザ・キチガイという感じですが、これも実は結構ありふれた状態です。家庭内暴力や痴漢やカツアゲやぶつかりおじさんなど、世の中には暴力がありふれています。それらの加害者はたいてい己の行為を正当化しています。俺はこれだけ虐げられているのだから他害してもいいはずだ、相手も喜んでいるはずだ、この程度たいしたことじゃないみんなやっている、など。これらの歪んだ認知も妄想の一種ですし、病的な妄想とされるものと本能だから仕方ないなどと言われ許容されやすい妄想との差は単に社会に許容されているかどうかの違いしかありません。社会に許容された妄想は社会に免罪符を与えられているため、簡単に暴走します。男の性欲は抑えられないという妄想を共有している社会では男は女を強姦するし、子は親の所有物とされれば親は子を殺す。

 

これは人類のバグなのではと思うのですが、暴力を社会が許可するのは正当防衛のときではなく、社会的地位が高い場合です。窮鼠猫を噛むと言いますが、現実に猫を噛めるのは窮鼠ではありません。俺は偉いから、強から、正しいから、こいつを殴っていいのだと信じ込んだときに人は最も残虐になれます。私もこのような『許可を社会から与えられた』状況になったことが何度かありますが、本当に自分自身の組成が組み変わります。感覚も体力も知力も全てが暴力に特化したものになってしまう。この状態になると自分の倍くらいある相手でも簡単に封殺できるし、杖をついた老人が若者を撲殺することもできる。

ここで唐突にミサンドリーを垂れ流しておきますと、おそらく恒常的に暴力を社会から許可されている男性たちはいつもこの状態なのでしょう。そりゃ、マトモな理性を保っている女性は男性に勝てるわけがない。女性が男性に勝てないのは弱いからではなく人間であることを貫いたからだし、男性が女性に勝てたのならそれは強いからではなく人間であることを捨てたからです。人間やめたのなら速やかに人権も返納してください。

 

 

まとめ

さて、最後ちょっと話がそれましたが、つまり何が言いたいかというと

状況分析能力最強

ということです。

 

たぶん多くの人は狂気に慣れていなくて、いざ追い詰められると一足飛びで第三段階まで行って大なり小なり暴力を振るってしまいます。そしてそうやって一線を越えた人を裁断処理して自分には関係ないと思い込もうとする。

でも暴力に至る前には無限の段階があって、それらを一つ一つ紐解いていくことで問題を解体できるし、常日頃解体すべきである、みたいなことを書きたかった。

とはいえひきこもって家庭内暴力を振るうようなこじれまくった人が自分の思考の解体なんてするわけないし、それができないからこそ暴力に至るわけで、自分の手に余る葛藤を抱えてしまった人、葛藤の処理能力が著しく低い人をどうするのかを考えなくてはいけないのでしょう。そういうやつらは攻撃的でやっかいで支援者を危険に晒すので、一人で死にさらせと思いたくもなるし、それも一つの正解ではあるのだろうけどおそらくそれでは社会が納得しない。じゃあどうするのというのは私にもわからないけども。