雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

読解力のない人の存在をどうするか問題(n回目)

もうこれ、エロ漫画を新聞広告にしていいかどうかとかトランス女性がどのトイレを使えばいいかとかそういうののずっと以前に読解力に差がありすぎる問題だし教育で読解力を放置してきた問題なんだなって思った。そこをどうにかしないと広告がどうとか厳罰化がどうとか言ってもキリがない。だってほんとに分かってないんだから。悪意とかそういうレベルの話じゃなくて見えているものが違いすぎる。

私の素朴な感覚としては、エロというのは女体あるいは男体を借りた二次創作だと思っていて、ナマモノ二次創作と同じ程度には隠れるべき、と思う。で、まぁ大多数の人は「エロ表現は俺様にとって都合のいいドリーム女あるいは男のファンタジー」という感覚を共有してるよね、と思ってた。けどたぶんエロでだけ吹き上がる戦士たちにとってエロは二次創作でない。女の体をもてあそんでいる自覚がない。ちょっと意味が分からないけどたぶんそうなってる。想像できないけど。

で、私の感覚と彼らの感覚のどちらが正しいかというのはたぶん神様にしか判定できない。あえていうならば私も彼らもどちらも正しい。

なんだけど、人間社会というのは信頼で成り立っていて、彼らが言っているのは「俺はおまえたちを殴り放題だがおまえたちが殴り返すのは許さない」なんで端的に人間に向いてない。ぶん殴る楽しさは知ってるし、ぶん殴られるつらさも知ってるけど、ぶん殴ったら俺は楽しいが相手がつらい、が分からないというなにかしらの欠損がある。

そしてたぶんこの欠損があるタイプの人類はけっこういて、おそらく割合的には男性のほうが多い気がするが女性にもけっこう存在している。そして彼らはきっと無人島で一人でサバイバルするときなんかには有利なのだろうけど、社会で群生するには向いていない。自分の問題を自覚できない本人としては「俺は悪くないのに俺だけ怒られ続ける」な人生なわけで、彼らは周りはもちろん本人にとっても不幸なまま放置されている。

 

で、そういう人にどうやってうまくやっていくか、っていうとこれは実は結構結論が出ていて、ちゃんと手間暇かけて療育すればわりとなんとかなる。それでもどうしようもない場合もあるがそれも福祉が補足して継続的な支援をしていけば少なくとも放置よりはずっといい結果になる。

たぶんこれ30年前の知的障害者が通った道だと思う。

今では信じられないけど、あのころは何の支援も説明もなくある日突然知的障害者の子供がやってきて、これからこいつも一緒に勉強するからよろしく、とされていた。親と友達くらいしか人間について知らないガキからすれば、よだれをたらして奇声を発しながら暴れる凶暴なサルにしか見えない奴と「これからこの子は学級のお友達です」とか言われたわけで、そりゃもちろん健常者は大迷惑だけど知的障害当事者にとっても深刻なトラウマになっただろう。健常者はその後いろいろなことを学んで知識のアップデートするチャンスもあるがその機能が低い知的障害を持った子にとっては一生引きずるトラウマにしかならない。

てのと似たようなことが今でも起こっているのでは。

で、やるべきは「足りないものはしょうがない」精神というか、真心とか相手の気持ちになればとかそういうのできない人ってのはいて、できないのはしょうがない。足りてないだけで別に意地悪しようとか思ってるわけじゃないので、そこ責めてもお互い疲弊するだけ。じゃあどうするかっていうと、「わかんないときは相談してね」という心理的安全の確保と「ちゃんと相談できてえらいねありがとうおかげで君もみんなも幸せになったよ」という成功体験。

とにかく深刻な挫折を味合わせない。知的に低い彼らは知識のアップデートができない。だから最初から正しいものを教えないといけない。なのに現状では「相手の気持ちになれ、なれないのはカス」というシバキあげしかなくて真逆になってる。

 

 

というのを踏まえた上で、じゃあ今暴れまわってる碌な教育も受けてない野蛮人たちはどうすればいいかというと、これはもう手斧を投げつけあうしかないんだと思う。いいじゃんもうお互いに楽しく手斧ふるってようぜ。