雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

高IQが低IQと意思疎通するためのライフハックとしての多重人格

まだ時間がありあまっているので連投。

すごい中二くさい題名になった。右目に魔物を飼ってる感がすごい。あと左手に巻いてある数珠が切れると悪魔に支配されるし今異世界転生してるんで中世ナーロッパからこの文章をお送りしている。

ここでいう多重人格はよく言われている解離性同一性障害とはたぶんちょっと違うのでそういうので検索してきてしまった人にはあまり役に立たないかもしれません。あとライフハックとか書いたけどべつにソリューションは目指してないのでそういう意味でも役には立たない。

 

 

 

今IQが50くらい下の人を相手に悪徳業者やってるんだけど、話が通じなくて大変。

結局私と彼らには量的な知力の差だけでなく質的な差があって、それはたぶん相互理解ができない。なにか越えられない壁があって、こちら側から壁をみる私はあちら側から壁がどう見えるかすらたぶん一生分からない。それが分かってしまったらもうそれは『私』ではないわけで、だから私は彼らと意思疎通らしきものをするために意識と記憶を分断する。

 

ちょっと言ってる意味が分からない気がするけど細かく説明するのが面倒なので雑なたとえを出しておく。

 

私が五体満足な人間だとすると、彼らは右手の小指だけがごろんと転がってるだけの状態、みたいな。なんかそんな。動き回ったり考えたり食べたり消化したり呼吸したりする私と、ただごろんと転がって腐るのを待ってるだけの小指は相互理解できない。ていうか小指にとってのコミュニケーションとか理解とかってなんなんだ。何をベースに分かりあえばいいんだ。骨と筋肉と皮膚しか持ってないやつらと何をすれば分かりあえたことになるんだ。なんだよこの哲学。

私にも小指はくっついてるけど、それは私の小指として機能しているのであって私の小指が私から分断されてそのへんに転がっていたらそれはもう私ではない。私の小指がその辺に転がっていても私はそれを私自身だとか、私の本質だとか思えない。

 

で、IQの差がありすぎる人と話をしようとするというのは私にとって右手の小指以外のパーツを全部無視するという状態で、その状態の私を私は私であると認識できないし、自分が何をしたか覚えていることもできない。右手の小指なんてのは私の都合のいいように勝手に動くものであって、動作の度に小指がどう動いているかなんていちいち考えないし覚えてない。わたしはかしこいので(めがねクイ)低IQ状態の私がどう行動したかを他人事のように把握して、なぜそう行動したかを推測することはできる。かしこいので。でもそれはやっぱり小指の感情を私が感じているのはなくて、私の小指という理解不能な他者を私の理屈に取り込んだに過ぎない。私は私の小指の行動を、赤子が泣いているときに泣いている理由を推測するのと同じ程度にしか理解できない。

まぁそれ以前に行動を覚えてないことのが多いんですが。自分の内側にある他者を知覚するとか、私がとても恵まれていて、かつ、かしこかったからどうにかやれてるけど普通だったら無理だろ。自分の心臓とか肝臓とかが今どう動いているか知覚するのが不可能なのと同じ。

 

という現象が起こって、それを私および私の支援者は「多重人格」という形で理解することで一応の決着をみた。

私が自由に私である時と私が他者と対峙しているときでは人格が分かたれていて、別レイヤーにいる人格同士は意思疎通ができない。私の視点からすると、これは私を便宜上細切れに提示してみせてるだけにすぎないけれど、下から見上げる視野の狭い人達にとっての私は複数の人格を保持しているように見えるのだと思う。そりゃ不気味だわ。おとぎばなしかと。多くの人は理解不能な他者に強い不安を感じるらしいので、私のことをビョーキだとか障害だとかいうカテゴライズをすることで分かったつもりになって安心できるのなら平和でよいと思う。

 

 

今回これを多重人格とか大げさに書いたけど人間の知能というのはつまりメタ認知で、自分自身の小指の動向を推定することはできても小指そのものになりきることはできない。そのことを直感的感覚的に分かってしまうくらい頭が良くなってしまった人にとって自我はナチュラルに多重人格なんだと思う。我々にとってそんなのあたりまえなのでわざわざ指摘することではないのだけど、それがあたりまえでない人たちがたくさんいて社会の「普通」を作っているので、我々としてはあえて「我々は多重人格である」という自覚をしっかり持ってみると多重人格ではない人達のこともより理解できるのではないかと思った。