現代社会では「まっとう」な選択をすればだいたいはなんとかなる。なんとかならないレアケースは今後も粛々と対処していくとして、現代における主要な貧困問題は「まっとう」が選択できない問題とニアイコールであって、これはもはや貧困問題ではなく「まっとう」問題、あるいは幸せになる能力問題と言える。
ホストにハマる女性、弱者男性を自称して女性を敵視する男性、SNSで陰謀論にはまる高齢者、統一教会に献金する主婦、そして一縷の望みをかけて私なんかの詐欺商材を買ってしまう人たち、ああいうのに金を渡せばさらにホストやパチンコや宗教や商材につぎ込むだけで意味が無い。
現代社会ではお金が無くても余裕で生きていけるが、コミュ力がないと何もかも全てが即積む。コミュ力は現代社会における唯一絶対の「通貨」と言える。我々の住む社会はいつのまにか資本主義からコミュ力主義に移行してしまった。
たぶんそこがしんどい人たちがたくさんいるのでは。
現代社会では選択肢が多すぎてしんどい、とかも、じゃぁ生まれながらに奴隷として大人しく鉱山掘ってろとか言われたらぶーぶー文句を言うわけで、あれは「選択肢が多くてしんどい」ではなく「コミュ力が足りなすぎでやりたいことが選べないのがしんどい」なのでは。それなのに自分の問題が自覚できず「選択肢が多すぎてしんどい」などと的外れなことを言ってしまう言語能力や問題解決能力の低さが根底なのでは。
私が今相手にしているやつらもそんな感じで、まず学んで習得することができない。例えばノコギリでまっすぐ木を切るとか、数時間練習すればできる程度のことを学べない。彼らの集中力は数分で切れ、その数分で習得できないともうやる気が消し飛ぶ。だから「驚異!たった30秒〇〇するだけでまっすぐ木が切れる奇跡の方法」とかに何十万何百万出し続ける。
これは発達障害や知的障害の二次障害で、彼らはこれまでの人生ずっとありとあらゆるところからバカにされ怒られ続けていて、きちんと物事を教わった事がない。能力は園児並みなのに劣等感だけは年齢分積み重なって悲しきモンスターのようになっている。
わかったこの餓鬼に蜘蛛の糸をたらせばいいのね。それならなんとかなりそう。ゲロ吐くほどめんどくさいけど不可能ではない。やればできるたぶんできるみせてやるぞ俺の神力!