HSPという無能に贈る優しい嘘
私は虫唾が走るくらいHSPが嫌いなんだけどそんな私に向かって「ワタシHSPでぇ繊細で生きづらくてぇ優しいhedgehogxちゃんなら分かってくれると思ってぇぇ」とかやれてしまうのがHSP。もはや怪異。
で、この怪異は客観性の欠如なんだなというのと、そしたら解決法も見えてくるかもしれないという気づき。
この私に向かってHSPとやらをカミングアウトwwしてくるクレイジーサイコパス野郎なんてどこからどうみても悪意しか見えないしむしろ悪意以外に何があるんだ??なんだけど、これシンプルに愚かなだけで、人類は愚かさの恐ろしさをナメている。愚かさというのは単に計算ができないとか漢字が読めないとかではなく、悪意にしかみえない全方位に不幸を撒き散らす愚かすぎる選択として表出する。
「私は発達障害なんかじゃない、アスペのこだわり行動は脳の障害で私のこだわり行動は私が繊細で他の人より細かいことに気づいて深く考えてしまうから」とか真顔でおっしゃる知能よ。。
内面なんて見えないんだからアスペのこだわり行動もおまえのこだわり行動も他人からみたらどちらも同じ。同じ行動をしてる時点で他人にとっておまえはアスペなんよ。てかそもそも、他人の行動と自分の行動が同じだということが分からない客観性の欠如ってそれ直球でアスペ。
「他の人が気づかないようなことを気づいて気になってしまう」てそれカクテルパーティー効果が起こってないだけ。他の人は気づかないんじゃなくて気づいた上で無視できてんの。おまえは無視できてないの。無視できてないということにすら気づけないくらい客観性に欠けてんの。
で、そういう人に正論をかましても理解できない。豚に論語を教えるようなもん。
サリーアンが理解できない、自分に見えてない情報が存在すると分からないつまり知能が二歳児で止まっている。二歳児に理を説くのは無理。
なので「おまえは発達障害だから現実を受け止めろ客観視しろ」というフレームは彼らには無理。じゃぁどうすればいいんだあいつら全員死ねばいいのに
というときに「あなたは人より繊細だから鈍感な人に囲まれて苦労しているんです」は案外最善手なのだと思う。
自分を客観視できないアスペには「私はあいつらみたいな愚鈍じゃない、私は正しいことを考えている」という世界が見えているわけで、その設定をむやみに否定せず設定にそって思考をすすめていつか認知の歪みに気づくまでアウトプットさせていく。と捉えてみればこれは現代心理学の王道と言える。
そう思うと真実に気づいた光の戦士的な陰謀論も入り口としては悪くなくて、そういう愚かなアウトプットを山ほど続けていくなかでアウトプットの練習をしていくという使い方ならよいのかもしれない。そこで同じレベルに落ちて口論して否定するのではなく、エコーチェンバーにもならず、ただ淡々と聞いて枝葉でなく困り事にフォーカスをあてる。「もしワクチンが毒であれば、ワクチンが広まっている世間で暮らすのはさぞかし大変でしょう。ワクチンを信じている息子さんとの関係もうまくいっていないのであれば一緒により穏便な伝え方を考えませんか」
むりーーー!!!!!
そこまでしてやる義理ない!金払え5000兆円払え!!!!!
なんだけどそういうやつが蜘蛛の糸のごとくあとからあとから群がってきて縁を切るのもめんどくさくなってきたのでマネタイズすることにした。陰謀論までいくとコスパが悪すぎるので障害受容できない低知能をうまく転がすことにする。