雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

部族の掟に従うのは所属欲求ではなく生存欲求だよという話。

  

 

なんか、承認欲求を適切に満たしましょう、社会とコミットしましょう、隣人や同僚とのつきあいを茶番として見下すのは貧しい人生です、みたいなことを言うのってさ、ノンケが非ノンケに対して異性愛の良さを語ってるみたいなみっともなさがある。

 

別にさ、健常者や定型発達の勝手に作った部族の掟に従うのは、単に有利に生きていくための戦略で、別にあんたらにコミットしたいわけじゃないよ、ていうあたりを混同して話を進めている人が多い。

 

今回の話はこれの続き。

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

 

話の重さが全然違うけど、承認欲求についてドヤ顔で語る暴力性は構造的には性犯罪と似てる。

性犯罪の被害者が何に傷つくって「お前も合意の上だったんだろう」みたいな思想だ。こちらは完全に被害者なのに、私の性欲が他者の中で勝手に生成されあたかも私が自発的に欲望を抱いたかのように背負わされる。

同様に我々が社会に迎合する行動をとるとき「やっぱりお前もマジョリティになりたいんだろう」という願望が勝手に生成されてあたかも私が自発的にそれを望んだかのように背負わされる。

だけどね、強姦した男に従うのも、マジョリティに迎合するのも、生き延びるための戦略にすぎなくて別に加害者を好きだとかマジョリティを好きだとかじゃないのは分かるよね。そこ混同しないでほしい。

 

 

 

マジョリティの茶番に迎合しないからって茶番全般が下手だと思うなよ、ていう。

 

社会に承認された愛の形を踏襲しないからと言って他者を愛さないわけではない。同様にマジョリティにとって都合のよいルールに従わないからといって所属の充足を知らないわけではない。私達の所属はさわやかに挨拶を交わすことでもスマートに名刺を交換することでもなく、相手の姿が見えないほど遠い距離を置いて行われる限りなくゼロに近いひそやかな交流だ。互いの気配を感じ取るだけの関係は、群れなければ声を上げることすらできない健常者様にとっては無意味なものに見えるのかもしれない。だが同様に我々からすれば誰に見張られているわけでもないのに無意味な儀式を永遠続けパノプティコンの独房の中で互いを値踏みする健常者の交流のほうがよほど無意味だ。

 

 

 

 

別に健常者や定型発達の勝手に作った部族の掟に従ってやる義理はないし、だからと言って反抗してやる義理もなくて、その時々で自分にとって有利なように振舞えばそれでいい。ただしそれは生存欲求を満たすためであって所属欲求を満たすためではない。

私達の矜持と才能を犠牲にして得るものは『安心』であって『所属』ではない。少なくとも私は誰かの犠牲によって成り立つ安心を所属とは認めない。