雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

トランスジェンダーをLGBTに含めることに対する違和感

この間会ったトランスの人が初めて会うタイプの人でいろんな意味で面食らった。

これまで私の知ってるトランスジェンダーの人って、多かれ少なかれ性別やジェンダー規範の存在そのものに疑問を持ってる人たちで、「男はいやだ、だからといって女になったから問題が解決するわけではない」というのが大前提だった。

でにこの間会った人ってのが昔の金八先生のドラマに出てくるみたいな世間一般で流通しているトランスジェンダーで、そりゃもうテレビに出てくるオカマのお笑い芸人くらいコテコテなステレオタイプだったのでほんとにそんな人いるんだ、そして世の中ではそういう人のが一般的と言われてるんだってのがちょっとびっくりした。

 

 

トランスジェンダーっていってもいろんな人がいるから一括りにはできないんだけど、とりあえず「身体的な性とは逆の性になりたい、なれさえすればハッピー」てタイプのトランスジェンダーセクシャルマイノリティとして扱うことに対するすごい違和感があった。だってそれって身体同一性障害の一形態で、セクシャル関係ないじゃん。足が欠損した人が義足をつけて歩けるようになりましたとかそういう類じゃん。

 

男は男らしく、女は女らしく、という規範そのものを脅かすホモセクシャル(ていうかパンセクシャルとかアジェンダーとか)はマジョリティにとって都合が悪くて、だからこそ我々は生きずらいしめちゃくちゃいろんなことを考えなければいけなくなってる。「君は男が好きなんだね、じゃあ君が女になればいい!」とか言われると殺意が涌くじゃん。

 

でも、「身体的な性とは逆の性になりたい、なれさえすればハッピー」というタイプのトランスジェンダーというのは、ジェンダー規範自体には逆らっていない。むしろ彼らのセクシャリティは男は男らしく女は女らしくという旧来的な社会構造を支持している。

 

 

 

今回私が話したトランスの人ってのが、身体的な性別と精神的な性別が一致していないという点を除けばすごーーーーく普通の『女性』で、女性らしい服装や女性らしい言動や女性らしい振る舞い全てに疑問を感じてなくて、ほんともうミスコンで優勝するようなタイプの完璧な女性で、そういう人をセクシャルマイノリティの一員とみなすことは当人にとっても周りにとっても不幸なことな気がした。

そういう人にとって必要なのは、ジェンダー構造に疑問を持ってしまうセクシャルマイノリティとのつながりではなくて、己に課せられたジェンダージェンダー規範に則る社会構造に疑問を持たず確固たる社会構造の歯車として生きていけるシスジェンダーとのつながりではないかと。

 

つまり、彼女はジェンダー社会学も無縁のところでかわいい女の子としてなーんも考えずにのほほんと生きていきたいらしいのですよ。なんかもう発想がすごくノンケ。だったら変にマイノリティとコミットせずにマジョリティとして扱うべきじゃないでしょうかね。

 

 

とか思っててそうなってくると私の頭の中では、セクシャルマイノリティというのは『我々をとりまく構造そのものに疑問を持ち、より多用性のある構造を目指して自身と周囲に働きかける人』という定義になってることを発見した。それもう哲学者とか社会運動家とかそういうやつじゃね、セクシャリティ関係なくね。でもまぁ私の中ではそう定義されてるので少なくとも私の中ではそれが正義になってる。

逆に同性が好きだろうが異性が好きだろうが「男は男らしく、女は女らしく、日本国民は日本国民らしく、自民党に投票して長いものには巻かれろ」という人生観を持ってるなら、少なくとも私の感覚としてはそれをマイノリティとは認めがたい。だってそれめっちゃくちゃマジョリティじゃん。

 

てことで、オラオラ系のBL攻め様とか王子様系のGL攻め様とかはあれ私の中ではBLでもGLでもなくてノンケものに分類されてる。ていうかむしろ攻めとか受けとかって男女の恋愛テンプレに当てはめようとする発想そのものがもうむしろBLじゃねーよ、とか思ってるのでオメガバース物とか大嫌い。