雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

性虐待を受けてから現在に至るまでの経緯まとめてみた

いまだに、女が男と飲みに行ったら合意とか主張している人がいるらしいのでいろいろ思うところあって、ちょいと自分の経験をまとめてみようと思った。

 

幼少期に家庭内で虐待を受ける。暴力はあんまなかったけどネグレクトとか暴言とかは普通。成長期にご飯無いの超きつい。あと中学生になって家を出るまで自宅監禁状態だった。一人で外出たことない。小学校あがるまでは屋外にほとんど出たことない。まじ井の中の蛙。後遺症でいまだに広い場所の距離感がよくわからない。小学校はかろうじていかせてもらえたけど、学校の終わる時間を把握されていたので終わったら全力ダッシュで家に帰らなければいけない。帰りの会がちょっとでも延びたらアウト。性虐待については詳しく書きたくないので書かない。

 

その後なんやかんやで家を出て、手当たり次第男とセックス・妊娠・出産・家庭を築く。

 

 

 

私自身はビアンよりのポリセクシャルなのに、狂ったように男とセックスしてた。

なんか、セックスの強要というのは単なる粘膜の接触ではなくて自分の体の決定権を奪われることであるという点が単なる暴力と最も違う点だと思う。痛いとかつらいとか死にそうだとかそういう事柄を拒否する権利を奪われてしまう。

暴力から立ち直るには安全な場所に避難するだけでいいのかもしれないけど、性虐待については安全な場所に避難しても足りなくて、痛くなくてつらくなくて死にそうじゃなくて暴言吐かれないセックスをほかでもない私自身の意思で選択するという経験をしなければいけなかった。

 

 

 

私がいまわりと普通に楽しく暮らせているのは、私自身がセクシャルマイノリティであり、かつマイノリティのコミュニティに接触可能で、さらに自分自身の困難についてつたないながらに言語化できる熱意と能力があり、その上それを粘り強く聞こうとしてくれる人たちに恵まれるという奇跡に近い幸運に恵まれたからにすぎない。

 

なのでほんとセカンドレイプとかやめてください。

オッサンの気楽な欲望で女を蹂躙する罪の大きさを自覚して。

 

 

 

 

…とか言うと「カワイソウな被害者の妄言」とか言い出すバカがいるんだよなぁ。だからあんまこういうこと書かないほうが賢いのかもしれないんだけど。

ただ、私は被害者で、だからこそ堂々と自分の主張を表明できる。そしてオッサンたちは私の主張に強い罪悪感を抱くのだということを忘れないようにしたい。いや現在進行形で加害者のくせになに寝ぼけたこと言ってるの死ねって思うけど、その感情は認めたうえで一時保留して理論的に捉えたとき、体験の重さを比較することは無意味だ。

 

私の世界の中では、私は本能に従い人権を蹂躙する男性というジェンダーに苦しめられている。

けれどオッサンの世界の中でオッサンは、私というどうあがいても勝てない正論に叩きのめされているのだろう。自分を自分自身で徹底的に否定しなければいけないというのは、きっとそれはそれで苦しい経験だろう。

 

私の目的はオッサンも私もそれぞれに楽しく生きることであって、キモいオッサンを糾弾し世界中のオッサンを殺すことではない。

 

オッサンを殺すことが目的であればひたすらに私の正義を主張すればいい。利は私にある。根強くしぶとく運動をつづければいずれオッサンを収容所送りにできる社会が成立するだろう。

だが、オッサンも私もそれ以外の人もそれぞれ楽しく生きることが目的であれば、相手にとっての落としどころを(それくらい自分で考えろばーかという感情はあれどオッサン共がいつまでたっても考えない現状を変えるためには)考えてあげる必要がある。

共生と平和を求める運動家が行うべきことは正義を声高に叫ぶことだけではなく、現実を受け入れることができなくて問題を女に逆転移し「誘った女が悪い」になる幼稚な逃避も(いい年こいてなにやってんだばーかという感情はあれど)理解した上で、彼らのねじれた認知を修正する認知療法を行ってゆくことだ。