雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

安楽死する権利を蔑ろにする人は自己決定権とお気持ちを混同しているらしい

だいたいの人は、体か頭が動かなくなったらさくっと死にたいと言います。ベットに縛り付けられて管まみれでそれでも長生きしたいと言う人に私は会ったことが無い。なのに実際に死に直面したときに決断できる人は稀、というか脳の仕組み上無理です。人間は、自発呼吸できなくなったよっしゃ死のうさよなら!とならないようにできている。

大脳新皮質を自我とか意識と捉えるのなら、酸欠になった時点で意識が途絶えてむき出しの本能だけが活性化するので、誰だって死の間際は苦しみ悶えて足掻きます。理性のあるうちにどんな取り決めをしたって死の間際には必ず翻すのだから、事前の意思確認なんて意味が無いとかいう輩が出てくる。死ぬ間際のぐだぐだのお気持ちを尊重すればそりゃがっつり延命することになりましょう。そういう主張をする人はどうやら、お気持ちと自己決定を混同しているっぽくて、もうおぞましすぎて彼らに一切関わりたくない。

 

患者様の意志に沿うべき、だから事前に延命はいらないと言っていてもいざ死にそうになった時に死にたくないと言う患者様には延命をすべき、というのなら私が患者になったら私のお気持ちも尊重してよね?

私の理性は常に公平で温厚であれと思っているけど私の御気持ちはレジで割り込むオッサンを殴りたいし痴漢は線路に突き落としたいしエロ絵は焼き尽くしたいんだけど、もちろん私のお気持ちも全て尊重してくれるのよね?オッサンを撲殺して痴漢を轢死させてエロ絵師は火あぶりにしてくれるのよね。

理性は実行によって尊重されるが、お気持ちは実行されないことによって尊重される。

レジで割り込まれたときになぐりてぇと心置きなくお気持ち発露できるのはお気持ちが実行されないからで、もし私の隣に介護士がべったり張り付いて私が一言なぐりてぇと言ったら即座に相手を撲殺するのであったら気軽になぐりてぇと言えなくなる。お気持ちを実行するということはお気持ちを抑圧するということに他ならない。

死にたいと言った人を殺すのが犯罪であれば、死にたくないと言った人を活かすのも同様に犯罪だ。

 

介護大好き年寄り長生きさせたいマンはたいがい、自分にとって都合のいいお気持ちだけを勝手に忖度して理性の言葉は完全に封殺する。彼らは患者の声に耳を傾けているように見えてその実自分が聞きたいことしか聞かないしやりたいことしかやらない。いやよいやよも好きの内でぐいぐい送管してくる。たぶんこれ強姦の構造と同じだ。加害者が加害を自覚してないむしろ善行してると思ってるパターン。

そりゃ話通じないわけだし、彼らと私は相いれないし、完全に接触を絶って暮らすか殺し合うかしかない。

ていうかわりと本気で私が彼らを殺してしまうのではないかというのは心配。どれだけ言葉を尽くしても彼らは善意で押しつぶしてくるから実力行使するしかない。

 

まぁいいや。ほんとに死にたくなったら自宅に常備してあるアレとアレをソレ(検索よけ曖昧表現)してさっさと死のう。

 

 

理解できないことを頭が悪いだけと解釈してみるブーム

自分に理解できない現象はなんでもかんでも理由を「相手の頭が悪いだけ」に帰結しておけば平和になるのではないかという仮説を思いついたので、ためしに手当たり次第頭が悪いことにしていってみようと思います。

 

でもそもそも、理解不能な現象を「相手の頭が悪い」と解釈することがすでにめちゃくちゃ頭が悪げでソクラテス先生に苦笑いされそう。

私は基本的に理解不能な現象は「自分の頭が悪い」と解釈してこれまでやってきてそれは間違っていないと思うけど、それが出発点だとどうしても「じゃあ自分の頭をよくしよう」という流れになって、そうすると自分の頭というすでに出来上がった枠組みに何かを加えるとか新しく増設するといった発想になる。でもたぶん必要なのは自分の持ってるパソコンにメモリ増設するとかではなくもっと斜め上の、パソコンじゃなくて猫を用意してみるくらいの発想の転換なのだと思う。

コンピュータに何をどう足しても猫にはならない。なので最近はあえて「相手の頭が悪い」を出発点にしてみている。

 

で、謝ったら死ぬ病の人も頭が悪いだけなのだろうきっと。

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普通に考えたら間違ったり失敗したりしたらさっさと認めて次に行けばいいのにそこで依怙地になって信頼を失ってまで守るべきものは何なんだ。彼らにとって時間と信頼と穏やかな人間関係よりも価値のあるものは何だ。

たとえば謝罪は不名誉を引き受けることと同義であるという文化圏にいるとかであれば戦略的に謝らないというのは合理的だろう。でも間違っても誰も責めないのに絶対に謝らないのは意味が分からない。そして日本においては、少なくとも一言謝ったら全力で撲殺されるのが合法、とかはない。どう考えても誤っておいた方が得な気がする。

自分の非を認めないというのは単にエラそうでムカつくというだけでなく建設的な話ができないということでもある。ミスを認めてくれないと、あなたはここでミスするのね、じゃあミスを誘発する因子を排除しましょうみたいなことができないので仕事にならない。だから私は謝ったら死ぬ病の人とは仕事しない。死ぬ病の人はそうやって関係をどんどん狭めていってしまってやっぱり損だと思う。

とか、考えれば考えるほど謝ったら死ぬ病は不可解になる。

 

なのできっと、彼らは頭が悪いだけなのだ。

 

謝ったら死ぬということは謝らなければ死なないということで、でもすでに過失が発生している以上謝っても謝らなくてもすでに詰んでるのになぜこれ以上自殺点を稼ぐのかというのが疑問点なのだけど、彼らの中では謝らなければ詰んでいないからこそ謝ったら死ぬのだ。

つまり、彼らにとってミスは謝った瞬間に発生する。

謝るとその瞬間に虚空から過失が錬成される。謝らなければ過失そのものがこの宇宙に存在しない。いや、過失があるということはうっすら感じているからこそかたくなになるわけだから存在しないというよりは存在が確定しないと言ったほうが近いかもしれない。物質は確認するまで存在しない。シュレディンガーの過失である。

新生児は見えないものは存在しないと思っている。だから目の前にお菓子があってもその上に布をかけたら新生児にとってはお菓子がこの世から消えたことになる。この現象は大人でもわりとあって、たとえばホラー映画を見た後に押入れを開けるのが怖くなるというのも同じ現象だ。もしも押入れにゾンビが潜んでいる可能性があるならさっさと開けて確認したほうがいいけれど開けてゾンビの存在が確定する気がするから開けられない。

 

 

謝ったら死ぬ病はもちろん、依存症や統合失調症のみえすいた嘘、反ワクチンやホメオパシー、ニセ医療、大企業や政府の欺瞞を認められない政治的に極端な人たちなど、シュレディンガーのミス誤認でけっこういろいろなことが説明できるかもしれない。

 

 

 

まぁ謝ったら死ぬ病に関しては単に建設的な解決とガン詰めの区別がついてないだけかもしれないけど。別にミスした人を責めても何も変わらなくて、こいつはこの条件ではミスする、じゃあどうすればミスしなくなるかあるいはミスしても平気な体制を作るかミスするような仕事をなくすかミスするような仕事をさせないようにするか、などを考えたいだけで、個人を責めたりとかするほど暇じゃないんだけど。そのへん理解できないとすれば全ての改善案がガン詰めに聞こえてしまうわけでなんか気の毒だなと思う。

今後はなぜ解決とガン詰めの理解ができないのかに関して、シュレディンガーのミス誤認以外の要因も考えてゆきたい。

 

察してちゃんが発生するのは、自分の感情を言葉にするのは難易度が高いから説

ロフトのバレンタイン広告に次いでグリコもなんかやらかしたみたいですね。

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なんでも、女性が「仕事と家庭どっちが大事なの?」と言ったらその真意は「私は何より家庭を優先しているのに、あなたは仕事ばかりなのが寂しいわ…」であり正解は寂しい思いさせてごめん、と謝って、仕事のグチを打ち明けてあげること、なんだそうで。

あーあるわーーこっちはガン詰めしてるだけなのに「寂しかったんだね」とか言って抱きしめてくるやついるわーーーー。そのままベアハグで肋骨へし折ってやるけど。

なんで女性は自分の願望すら正しく言葉にできないと思われてるのほんと迷惑なんだけど。私が「クソ雑魚ナメクジ死ね」と言ったらそれは死ねという意味であって決して「あなたとセックスしたいわ」という意味ではない。セックスしたくなったらセックスしようぜって言うから。それまでは1mmもセックスしたくないから。いい加減わかれ。

 

だいたい思わせぶりな察してちゃんな女の方もどうなの。普通に自分からアプローチしろよ。奢ってほしければ奢ってほしいってはっきり言ってよあとでこそこそ悪口言われても知らんがな。

 

結局この手の問題は口にしなくても理解しろという圧力が根底にあるので、世界中のだれもが自分の思ったことを忌憚なく口にすることにすれば解決なのでは。

 

と、私なんかはそう思うのだけど、察してちゃんや女子が察してちゃんであるということにしたい人たちにとって「自分の思ったことを忌憚なく口にする」はもしかしたらとても難易度が高いことなのではあるまいかと最近思うようになりました。

 

私はセックスしたくなったら「セックスしようぜ!」と言うしセックスしたくなかったら「セックスしたくない」と言うわけで世界中全員がそうやって簡潔に意思表示すればすれ違いが原因の事故は無くなるはず。

でももしかしたら、自分が今セックスしたいかどうかをちゃんと把握できないタイプの人というのが結構いるのかもしれない。

いやよいやよも好きのうち、とか、あれは演技や駆け引きではなくて本当に本気で最初は嫌だと思っていたけどしつこく迫られたらなんか嫌じゃないような気がしてきた、なのかも。セックスの最中の、いやんだめぇやっぱだめじゃないぃぃ、も、もしかしたら本当に本気で嫌なのか嫌じゃないのか自分の感情が分かっていないのか。

セックスだけではなくて晩御飯に何を食べたいかとかどんな服を着たいかとかラーメンと餃子どっちが好きかとか、自分の好みや感情すべてを把握できない。興味ないからどちらでもいい、ではなくて、自分の中では明確に「ラーメンより餃子が好き」という好みが存在しているくせに「自分は餃子が好きです」という自覚は無い。「えーどっちがいいかなぁ、あなた決めてv」とか言うくせにいざラーメンが出てくると不機嫌になる。あれはダブルバインドによって相手を支配しようという駆け引きではなくて、ほんとに本気で自分の気持ちが理解できていない可哀想な人なのか。

 

え、ごめん普通に底意地が悪い人なんだと思ってた…

単に馬鹿なだけだったんだごめんね馬鹿じゃしょうがないよね……

 

両手が欠損している人はトイレで自分の尻を拭けない。そこで必要なのはトイレで尻を拭けと昏々と説教することではなくてウォシュレットだ。同様に自分の感情を理解する知能が無い人は自分の感情に責任をとることができない。これは何らかの障害名をつけて可視化すると幸せになれる案件かもしれない。

 

 

最近の山本一郎とかシロクマとかに代表される旧特権階級だった人たちがポリコレ棒を揶揄して昔はもっとおおらかだったと歴史修正する現象とか、それと対になるようなネトフェミなどの過剰なポリコレ棒とか、そういうのもこの現象と考えるとすっきりする。彼らはどちらも自分の感情を自覚分析できず、間違ったゴールに向けて走り続けるから誰も報われない。これが知能の欠損だとしたら、必要なのは知的ゴリラによる完膚なきまでの論破ではなくて適切なケアと教育プログラムと社会への啓蒙だ。

 

感情そのものは強いのに、自覚だけできない、かぁ。

なんだろ、アレルゲンが特定できてないのに強烈なアレルギー反応が出てるみたいな感じかな。そりゃこの世の全てがアレルゲンに見えるしのべつなくなし叩きたくなるよな。そうなったらどうすればいいのだろう。アレルギーだったらとりあえず入院で完全隔離していったんすべてをシャットアウトしてからすこしずつ接触を増やしてアレルゲンを探していくのかな。

でもたぶん、知能が足りない人というのは単に知能が足りないだけでなくて頭をつかうこと自体が苦痛っぽい。己を徹底的に解体して要素を掬い上げるなんて彼らにとっては多大な苦痛なのだろう。ていうかそれができてりゃ感情アレルギーなんかなってないだろうし。

彼らの、頭を使うのが苦痛というのはいったいなんなのだというあたりが次の課題なのかも。

 

 

 

 

周りの人が頭が悪すぎて嫌になった(n週目)あと陰謀論と狂気の種類

ほんともうなんていうかもう……

私なんでずっと同じことぐちぐち言ってんだろってげんなりするけどやっぱりまたバカの壁にぶちあたってる。せっかく頭がいいんだから華麗な解決法とか思いつけばいいのにそういう方面には頭がよくないっていうかむしろ頭が悪くなることが唯一の解決法っていうか。

 

今の状況をさんすうでたとえると、相似比の3乗が体積比、みたいなのをずーーーっと説明し続けているんだけど未だに理解してもらえない。

もうかれこれ20時間くらい説明しつづけているのに、ちっちゃいものほど乾きやすいというそれだけのことが分からないらしい。数式をがっつり説明したら難しすぎてついてこれないし、実際に目の前で実験してみて結果が出てもやっぱり分からない。じゃあどうしろと。

ていうかこんなの別に理解なんかしなくていいと思う。哲学者や数学者なら概念の理解が必須かもしれないが我々ガテン系の分野ではとりあえず使いこなせれば原理なんかどうでもいいんだから。

 

私は!ただ!ちいさい動物ほど体温が高いとか小さいせんべいほどしょっぱいとかでかいまんじゅうはあんこが多いとか、そういうの理解してほしいだけなんだよーーーー!

 

なんで?なんでわかんないの??目の前で普通に起きてる現象じゃんそれ以上説明のしようがないじゃん普通に中学校のさんすうの教科書に書いてあるじゃん!全ての実験結果が矛盾なく事実を示しているのに、なんでこれ以上ないシンプルな宇宙の真理をわざわざ曲解してわけわかんなくすんの??自分で言ってて矛盾を感じているのになぜそこいらじゅうに転がっている真実にたどり着かない。わからない。ババアには理解できない。彼らの頭の中はいったいどうなっているんだ。

 

 

でもこの矛盾のない美しい原理を理解しているのは私だけで、大多数の人にとっては体積と表面積は比例するとかそんなわけのわかんない公式が正義で、彼ら目線で考えると私は自前の宗教を作り出して唯一絶対神を崇めている狂人に見えるのだろうなと思います。多数決で正義が決まるのなら正しいのは彼らのほうだ。

実際、多数決で正義を決めるレベルの知的能力の人にとって私は異端で排除すべき異分子で、自分に見えているものだけが正義で正義を疑うことすらできないというのは人生楽そうでうらやましい。

むしろなんでこんなにみんな私のマイ宗教にくいついてくんのさ…

いいじゃん一人の狂人がわけわかんないこと言ってるってことで放置しておけばさ…平賀源内や奇天烈斎様扱いでいいよ別に。しょうがないじゃん私は私の脳を通じてしか世界と関われないんだから。

 

私の中では何をどうひっくり返しても世界が滅亡しても地球が終わっても異端審問で火あぶりにされても、やっぱり相似比の3乗が体積比という事実は覆らない。どうやっても変えられない本心を隠し続けることすらできずひたすら孤独に主張し続けるのわりと大変だし疑心暗鬼になるし攻撃的にもなる。多分陰謀論に嵌っちゃっているような人はこんな気持ちなのではないかと思う。ちがうかな。

でも陰謀論の場合、陰謀を信じることでメリットが生じるのか。経済が悪いのはアベのせい、俺がモテないのはフェミのせい、としておけば自分の問題から目を逸らすことができる。自己責任論も一種の陰謀論で、経済は回復してるのに儲からないのは俺自身の責任、俺がモテないのも俺だけの責任、としておけば自分を責め続けるだけですむ。複雑さを理解して行動することが苦痛、かつ自分が行動しない怠け者であることを認められない人が陰謀論やに嵌り、それを一般的に狂気と呼ぶのだろう。

なんか大変そう。

 

あとここまでだらだら書いてきて、私の狂気はなぜこんなに静かなのだろうという疑問の答えが少しわかった気がする。

世の中の過半数が信じていることが真実で、少数が信じているものが狂気であると定義したとき、自分にしか聞こえない音があり自分にしか扱えない定理があり自分にしか見えないものがある私はまごうかたなき狂人だ。私は人類の過半数が共有する幻想を掴むことができない。私は生まれてから死ぬまでずっとたった一人でいるしかない。

でもたぶん、一般的に言う狂気というのはもともと正常だった人が何らかの理由で陥るものなのだろう。そこには狂気に陥るきっかけがあり、狂気を維持するメリットがある。彼らは俺がモテないのはフェミのせい、私が傷つくのは男性特権のせい、と信じ続けることで救われる。そこで問題なのは仮想敵のいる世界観ではなくてその世界観を維持するメリットなのだろう。

いいなー…

不謹慎かもしれないけど、狂気に多少なりともメリットがあるとかうらやましい。相似比の3乗が体積比とか私にとって何一つメリット無くて邪魔なだけなのに消せないのうんざりする。私だって表面積と体積が比例するって思ってたいけどできない。やっぱ高IQとか知的障害でしかないわ。

 

 

いやでも良く考えたら、人類の上位3%くらいは私の考えを普通に理解してくれるんだからそんなに少数派ってわけでもないのか。私は別に世界で一番頭がいいわけではなくて、世界規模でみればそんなに希少ってほどでもない。でもトップクラスの研究室ですら過半数は私以下の能力しかない。微妙。伝わりそうで伝わらないもどかしさ。逆に相手としては分かりそうなのに分からないもどかしさを味わっているのだろう。もういっそ私のIQが250くらいあればお互いあきらめがついたんだろうに。

いやむりやり前向きに考えてみたら、まだ相互理解の可能性が残されていてお互いに希望を持っていられるというのはわりとありがたいのかもしれない。そうだそう考えよう……

 

 

頭がおかしくなったときにどんな支援をしてほしかったか思い出す

大変な状況では脳がオーバーヒートしてわけのわからない挙動をしだす、というのはこれはもう生物として当たり前な心理であって真心とが努力とかそういう次元でどうにかなるようなものではない、というのを知っておくと自分にも他人にも優しくなれると思う。

HPが10しかないのに「一旦ダメージを50食らう」なんて選択肢ない。HPが100ある人に「防御コマンド繰り返しててもジリ貧ですよ」「一旦ダメージを50食らって次のターンで攻撃しなきゃ勝てませんよ」とか言われたって、HP10の人は「そんなこと言われたって私には無理だよ……」と呟いて、防御コマンドを繰り返すしかない。

https://yashio.hatenablog.com/entry/20190207/1549467965

 わかる…!

じゃあどうしろって言うんだよ!とか言って怒り出したり暴れたりするやつ。人間の限界は案外身近に転がっている。

子供を怒鳴りつける親もネットで執拗に攻撃を繰り返す人も歴史を修正しようとする人も夏休みの宿題を後回しにする子供も、みんなみんな追い詰められている。

そこで必要なのは叱咤激励ではないはずなのに、世の中には叱咤激励だけが蔓延している。

 

 

 

判断力の落ちている人がそうした情報にさらされることが、この世界にとっていいことだなんてとても思えない。でも現実にはそれを止める手立てがない。
 「成年後見制度」というものがある。知的障害、精神障害認知症などで判断能力が不十分な人の、法的な権利(財産にまつわる意思決定する権利など)を制約することで、その人を保護する制度だ。人間のセーフモードみたい。

追い詰められて判断力が鈍ってしまった人に対して詐欺を働く人がいるから判断力が鈍った人を保護する仕組みがあればいいな、というのはわかる。加害者を逮捕しても被害者を責めても何も変わらなくて、判断力が鈍った状態をどうにかしないと意味が無い。

けど、そこで判断力が鈍った人の代わりに他の誰かが正しい判断をすればいいじゃないというのはまた別の正しさで殴っているにすぎません。それが傍から見てどんなに正しい選択肢でも被害者にはそれが選べない理由があるのです。

だからたぶんそっちの方向性ではなくて、貧乏だろうと中退しようと退職しようと子を捨てようと追い詰められないセーフティネットを作るほうが近道ではないかと思う。

 

正しくないお前の代わりに正しい私が選んであげよう、ではなくて、いいじゃない大学なんか行かなくても大丈夫生きていけるよ、とか、貧乏だってそこそこ楽しく暮らせるよ、とか、男が好きでも女が好きでも恋愛しなくても結婚しなくてもいいじゃないその人の人生だもの。子供育てるのが大変だったら一度里子に出しちゃえばいいのよ子供は社会で育てるものよ。遅刻なんて平気平気、医療ミスで死んじゃってもいいじゃない人間だもの。

たぶん求めているのはそういうことなのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

馬鹿にするのと風刺は違うという話

LOFTのバレンタイン広告が批判されているようです。

一見仲良しに見える女の子たちが実は互いにマウンティングしかしていなくて裏側では背中をつねったり髪を引っ張ったりと暴力をふるいあっている、そんな女の子たちにロフトのチョコレート。

www.huffingtonpost.jp

いやそれ誰が買うの…

この広告を踏まえてロフトのチョコを買うということは「私は裏で陰湿にいじめあって人の悪口ばっか考えてるんですよ」と言っているようなものなので、私は今後ロフトのチョコを貰ったらドン引きするし相手と距離を置くよ。誰が得するのこの広告。

 

pokonan.hatenablog.com

性役割を押し付ける広告はたびたび炎上していますが、たとえばパンパースのワンオペ育児CMなんかは一応「そんな理不尽な状況でがんばっている女性にエール」というメッセージは少なくともあって、そもそもそんな状況を容認するほうがおかしいという指摘でした。最低限リスペクトはあった。そんなリスペクトはいらんが。

でもキリンの女性図鑑だとか今回のロフトの女子間のイジメだとかはリスペクトすらありません。

 

 

amamako.hateblo.jp

こちらの方は広告や表現には毒があってもいい、きれいごとばかりでは響かないと主張されています。たしかに表現には毒があってもいい、むしろあったほうがいい。だけどその毒はただけなして見下して窮屈にするものであったらそれは統制であって表現ではありません。

 

このロフトの広告を男性でたとえるのであれば、

外ヅラはイケメンだけど裏ではパワハラや痴漢や性犯罪をやっているぜ☆そんなアナタはロフトのチョコ♪男の子ってそういう生き物だよね!

とか言われて、よっしゃ俺もチョコ買お!となるか?という話です。普通だったらそんな男性像と一緒にしないでほしいしロフトに行かなくなりませんか。

 

上に上げたブログにあったんですが、たとえばこんなのどうですか。

pokonan.hatenablog.com

男ってナヨナヨして知能も筋力も足りなくて体売って女にかしづくしか能がない生き物よね!という風刺なんですが、それみて男性はどう思いますか。よっしゃこんな男性になりたいからネトフリ契約しよ!て思いますか?

 

『毒のある表現』の具体例が挙げられていないので分かりませんが、男性向けのCMでこれほどまでに馬鹿にして見下したものを私は知りません。せいぜい24時間戦えますか程度じゃないですか?あれだって24時間戦えるあなたはカッコイイという価値観でした。背中をつねったり髪を引っ張ったりしていじめあう女性はカッコイイとでも?どうせ女なんてそんなもんでしょ、を私たちはにっこり笑って受け入れてあげなくてはいけないのでしょうか。いったいいつまで?

あと一つ可能性として、こちらのブログの作者さんの中では「女の子は仲良く楽しく」がステロタイプで「女の子はお互い足を引っ張り合う」がアナーキーな表現となっているのではないか?と思いました。別にどちらが正しいというわけではないのですが、わりと多くの女性は女性は陰湿だとか陰でいじめあうだとかいう無責任な言説にうんざりしています。その立場に立つと、女の子はお互い足を引っ張り合うというのが保守で、女の子が普通に仲良く楽しくキャッキャウフフしている表現こそがカウンターであり芸術でありパッションであり『毒』です。

 

だからこういうの↓は当時かなりアナーキーな表現でした。

 お互いを尊重して健全にライバルしたり友情や恋愛が芽生えたり、というのは週刊少年ジャンプなら腐るほどあるかもしれませんが女性主人公では現在でもまだ希少です。最近のポケモン映画ですらそんな女性像が描かれています。女子はどうせ男の取り合いして醜く足を引っ張り合っているんでしょ?というのが女性にとってのスタンダードな現状では例のCMは陳腐でしかない。

 

とりあえずみんなロケットガール読もう。 

 

 

毒をばらまくのは公害であり犯罪です。毒でしか打破できない強固な規範に対して適度な毒を撒くのは正当防衛として許される場合も無くはない、その二つを混同しないようにしたいものです。

 

 

 

善良で正義な人たちを隔離したい

最近の虐待殺人事件は見出ししか見れていないのだけど、親が子を殺すというのは我々の業界としてはままあることでそれ自体は驚かない。一定確率でヤバい奴が出てくるのは仕方ないしヤバい奴とヤバい状況が悪魔合体するとケタ外れにヤバい状況になるというのは水素を加熱すると爆発するのと同じレベルの宇宙の真理で覆せない。

www.asahi.com

 

だから逆に、アンケートを渡して放置していた教育委員会のほうがサイコパス味があって怖い。水素が爆発するくらい自明のことをなぜ予測できないのか。アンケートを渡してしまったこと自体は仕方が無かったのかもしれない。ヤバい奴にヤバく迫られたらヤバい選択をしてしまうのは当然だ。でもその後どうして隠蔽したのか。隠蔽すればどうにかなると思ったのか。実際どうにかなるケースが沢山あるのだろう。外部に相談したら親に筒抜けでシメられたなんてうんざりするほどありふれていて、相談したら状況が悪化すると子供達は学んでいる。私だって誰にも相談できなかった。

あとこの事件で知ったのだけど、児童相談所って子供が嫌だと言っても家に帰すのか。明らかに虐待があるのに子供自身も隠そうとするから証拠が掴めず断腸の思いで帰すというパターンはわりと聞くけど、ちゃんと意志表示しても子供の意見は聞かれないらしい。

 

まぁそうだよなとしか。

成人患者ですら家族と医療のオモチャなのに子供だけ人権があるなんてなぜ信じていたのだろう。信じていたかったけど。

 

医療福祉のアウティング問題は深刻で、聞いた話だと「兄にレイプされて病んだから生活保護申請したら兄含め親戚一同に筒抜けになった上で親元に帰された」とかそういうのもある。聞いた話なので真偽は分からないが私の経験を踏まえてもいかにもありそうだと思う。私も「親と確執があるので親が来ても病室に通さないで」と言ったら勝手に実家に連絡されてサプライズ面会されたことならある。弱ってベットから起き上がれないときに密室で加害者とご対面。まともにしゃべれない中必死で伝えたのに。まぁパニック自殺未遂隔離拘束コースよな。あのせいで何週間入院が延びたか。

きっと親に隠し持っていた虐待110番のカードを唯一の支えにしていた子供がいて、この事件のニュースを見せられてお前もチクったらこうなるのだと脅されている子供がいて、そういう子に必要なのは関係者の謝罪会見ではないしましてや抗議の電話でもない。正義とか復讐とかそんなの身を守ってくれない。なのに責任者を怒鳴れば、親にアウティングすれば、親子の愛があれば、きちんと躾けていれば、家族の情があれば、どうしてそれでうまくいくと思えるのだ。どういう思考回路をしていれば水素を加熱しても爆発しないと結論付けられるんだ。どんな愛をもってしても過マンガン酸カリウムと塩酸を混ぜれば毒ガスが発生するのに。

 

もういい。彼らは私とは違う生物なのだ。

彼らの世界ではありがとうと一万回言ってモーツアルトを聞かせれば塩素がきれいな結晶になって無害になるのだろうきっと。彼らには彼らの国を作ってもらって年号は当日発表で憲法で家族の扶養義務が課せられていてネットは監視されていて愛と徳でもって全てが調和したきれいな世界で生きてもらおう。ピラニアとグッピーを同じ水槽で飼ってはいけない。いやでもわりと本気で、同じ人間だという思い込みを捨てて彼らの心理をちゃんと分析しなければいけないのだろうと思う。