雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

育児に向いていない性格を分析する

振り返ってみるとあらためて育児に向いてなかったなと思ったので書く。

 

私はどうしようもない欠陥人間人間ではあるけれど、たぶん子供を育てるという点ではわりと案外適正があったと思う。少なくとも壊滅的に向いていないわけではなかった。では何があんなにたいへんだったかというと、感情の無償労働を強要される点だったなと今になって思う。

具体的には、親子写真を取られるとか子のお誕生日パーティとか、入学式や卒業式や学校説明会などに出席とか、そういうの。

子の成長を祝いたい気持ちはあるし実際祝うのだけどそれはあくまで私と子の二者間の関係であって、貴重な休みに国歌とか校長先生の話とか聞かねばならないのがものすごく苦痛。家で寝てたい。

 

よく誤解されるが、感情労働が苦痛というわけではない。楽して稼げるならむしろ好き。なので基本的に時給3万が見込めない感情労働はしないことに決めている。よほど楽しいとか興味があるとか将来性が見込める場合のみ時給1万まで値引きすることもあるが無料奉仕は絶対しない。金払え。

 

卒業式とか説明会とか参観日とか親族の集まりとか、稼げるどころか仕事休んで損しながらやらなくてはならないのが苦痛。なのにやって当然やらないのは子への愛が足りないとか母親失格とか言われるの意味がわからない。子への愛と無駄に長い校長先生の話を聞くのにどんな関係があるというのか。

時給仕事なら1日休んでも一日分の損失ですむかもしれんが自営ではそういうわけにもいかなくて、たとえば5日間の中1日拘束されるということは5日全て作業できないということでな……その前後2週間くらい出張とか実験とかの予定が入れられないので損失がいくらになるか考えたくもない

そういうの全てこなして全力で予定を開けてやっとの思いで出席した式典でやることが校長先生の話を聞くだとかメールで済むような連絡事項だとか、他人の時間をなんだと思っているのかと。お前は暇かもしれんが私は暇じゃないんだが。

 

たった一日予定をあけるくらい簡単でしょ?という人には私の時間感覚はわからないのだろう。

わからないならわからないでいいんだけど、せめて歩み寄ってよーーなんで私だけが努力しないといけないんだよお前らも少しは苦労しろよくそが