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雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

アスペルガーは有名になってうらやましいなという話

アスペルガー

 

私は当事者ではないので、正しくは無いかもしれないけど、自閉の世界というのは「さんすう」に留まり続ける世界なのではないかと思っている。

 

彼らの中では数字の1はどこまでいっても数字の1で、数字の2はどこにあっても数字の2。白は白で、黒は黒。全ての事象が一対一対応でシンプルに結び付けられている。

二進法で構成されるコンピュータは0と1で描写されてさえいれば非常に膨大なデータを解析することができるのと同様、彼らは彼らに捉えることのできる要素で構成されている情報に関しては非常に膨大なデータを扱うことができる。だがコンピュータが「0」と「1」以外処理できないのと同様に、彼らも彼らに捉えることのできる要素以外は処理できない。処理はできないが、コンピュータが「10」を「3」と表示するプログラムを作成するのと同じ要領で、学習によって近似的に理解することはできる。

 

あるいは、彼らは積み木で城を作っているようなものだと言い換えてもいいかもしれない。一つ一つの積み木の形は同じでも、膨大な数の積み木を組み合わせれば精密な城ができあがる。

 

彼らが自分達を宇宙人だと称することがあるのもうなづける。コンピュータは人間会話することができるしチェスで人間に勝つ事だってできるけど、やっぱり「3」が理解できていないことには変わりない。我々は姿かたちを似通わせることはできても本質的には同じになれない。

 

「みんなおんなじ」を疑ったことすらない健常者に囲まれて一人で試行錯誤を重ね、自分に理解できる感覚を組み合わせて他者の感覚の近似値を推測する、というプロセスを繰り返してきたという点では、彼らと私は似通っている。だから、私を自閉症だと診断した医者もまるきりヤブというわけではないだろう。

でも、私の捉える世界、例えるなら水のような形の定まらないもので構成される世界は、積み木の世界とは全く違う。

人類は自閉か定型かのスペクトラムに全てが収まるほど無個性な集団ではない。そもそも、定型という区別が幻想に過ぎない。そのあたりをもう少し明確にできれば、いろいろな人がもっと生きやすくなるのではないかと思っている。