雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

母親の無償の愛という幻想を信じすぎている件について考えはじめる。

そもそも私の場合、生物学上の親がどれなのかすらよく分かっていない。いまさら遺伝子検査して確定するほどの情熱もないしそもそもうっかり実家に帰ったら座敷牢コースなので、親という存在がどういうものなのか理解してすらいない。

だから別にヒトの子なんて食事と寝床さえあればあとは勝手に生きていくだろうしそれで生きられないんだったらさっさとガチャ回して次いこ次。くらいの気持ちなんだけど、どうやら無償の愛とやらによく分からない巨大な幻想を抱いてくるしんでいる人がたくさんいるらしい。

俺は親に愛されなかった、て、だから何だと。

必要とされなかったいつも否定されていたありのままの俺を認めてくれなかった、て、親を何だと思ってるんだ。どんなクソガキでも無限に受け入れることを要求するならまずお前がクソ親を愛せよ愛情を持って笑顔で受け入れろ。殴られても罵られても勝手に私物を捨てられてもにっこり笑ってヨシヨシしろよ。できないんだったらお前の親だってできないよ同じDNAだもん。

というように無償の愛とやらをきちんと因数分解して己が親に何を要求しているのかを理解したうえで要求しているんだろうか彼らは。そういう理屈が通じないところでゴネてる気がする。というか理屈が通じるんだったらこんな気色悪いゴネかたしない。

 

で、無償の愛を注げないなら子を産むなとか、ママのおっぱいを卒業できてない寝言をほざく人たちは彼らなりになにか真剣に訴えたいことがあるらしくて、その譲れない何かを「親からの無償の愛」とかいう言葉で思考停止して巨大な何かをお互いに押し付け合って苦しみを増殖させている気がする。このブラックボックスをちょっと考えてゆきたい。