雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

80歳の高齢者に完璧な医療を提供するべきという人命至上主義の人達が求めているものは何なのか2

80歳の高齢者が肺炎で呼吸困難になってから入院まで数日かかって結果死亡した件について。

80歳であろうと90歳であろうと肺炎になったら速やかに入院して治療が受けられる体制を整えるのが当然でそれに反対するのは鬼畜か救いようのない馬鹿、みたいなことを主張する人命至上主義の人達の理論は破綻しています。

前回書いたのは

1彼らの多くが「自分や自分の家族も同じ扱いをされてもいいのか」と言います。どうやら脅しのつもりのようですが、「自分や自分の家族であっても高齢になったら濃厚医療を受けずに死んで構わない、むしろ医療を受けたくない」という人がいることを決して、絶対に、認めない謎

2彼らの主張することを忠実に実行すると高齢になっても濃厚医療を受けることになり高齢者に死にかけ腐りかけゾンビのような苦痛を強いることになるのですが、彼らは本当にそれを望んでいるのか

という2点です。

それで、自分の望んでいることを的確に主張するというのは実はかなり難易度が高くて、高齢者であっても即時入院して治療できる体制を整えるべきだという考えを素直に実行すると、自分や自分の愛する人を腐りかけゾンビにするために生産年齢の若者の人生を食いつぶすという誰も幸せにならない結果になるのですが、おそらく彼らの目指すものはそれではないと思います。

つまり、彼らの主張は言葉通り受け取ってはならず、彼ら自身すら分かっていない本心をくみ取って差し上げなければいけない類のものなのでは。

 

 

たぶん彼らは病院に入院するということの意味をあまり深く考えていないのでは。

この記事のブコメを読んで考えました。

b.hatena.ne.jp

sirikodama ごめん、ちょっと怒りに震える。高齢の肺炎は仕方ないとか人情ぶったとか延命しないとか言ってる奴ら。論点が違う。国の不備で死を前に病院も行けず同居の妻も高齢。感染させたら死ぬ。その苦しみを想像できないのか

kamonyan1 高齢者が亡くなったことと病院が見つからないこと。混同するのはよくない

こういう人達の要求を満たすくらい潤沢な医療リソースを用意して80の高齢者であっても救命できる体制を整える、というのは天井知らずにリソースを食うので無理だよねという話なのですが。

 

たぶん入院するというのは彼らにとって安心であったり十分なケアであったり、なにかお気持ちに対する保障のようなものなのでは。病院に行って入院さえすれば「最善をつくした」「やるだけのことはやった」となる、ある種免罪符のような位置づけ。

考えてみれば寿命が尽きそうな人とその周りの人にたいして「あなた方は最善を尽くした、やるだけのことはやった、あとはともに天命を待ちましょう」という許しを与えるものは現代において医療しかないのかもしれません。だから彼らは医療に縋る。だけど医療は許しを与えてはくれません。現代医療という人類史上最も残虐な神はどこまででも生贄を要求してきます。1%の高齢者を救うために貧困で自殺するロックダウンを要求し、それでもまだ満足せずさらなる犠牲を求めています。全財産を寄付せよと要求する阿漕な新興宗教なんて子猫ちゃんに見えるくらい、莫大な犠牲です。

しかも、それだけ多くの犠牲を払っても手に入るのは腐りかけゾンビです。

 

だいすきなおばあちゃんにいつまでもにこにこ笑っていてほしい、死んでしまうのであれば手厚く見守って看取ってほしい、という気持ちは分かります。

でも、それは80の肺炎患者が即時入院できることで得られるものなのか。自分が要求しているものはいったい何なのか。

 

猿の手という小説を思い出します。

妻は息子を生き返らせてほしい、と願いましたが、それは「昔に戻りたい」であってその願いが不可能であれば次善の策として息子が死んでしまったことを嘆き悲しみ受け入れるだけの手助けと心の強さこそが彼女の本当の願いだったのでしょう。ですが彼女はは自分の本当の願いに気づけず、あとはご存じのとおりの結末です。

自分の願いを正確に表現するというのは高い能力が必要なことらしいです。もしかしたら能力がない人には不可能なことなのかもしれません。であれば彼らの本心に沿ったものを与えられるような枠組みを誰かが考えてあげる必要があるのだろうと最近思うようになりました。でも私はそんなめんどくさいことはやりたくないので誰かやっといて。