雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

問題を解決できるのは育ちがいいからという意味がやっと分かった。

たとえば私が誰かをぶち殺す必要があると判断したとしたら、たぶん私は相手のところに行って「おまえをぶち殺す必要があるんだがどう思うか」みたいなことを直接聞いてしまう気がする。いやさすがにもうちょっとうまくやる気はするけど基本的なマインドとしては思ったことを直接本人に言って話し合えば妥協点が見つかると思ってる。

で、そういう風に思えるのは世の中の構成員のだいたい全てが根底の部分で善良であると信じているからなんだろうなと。利害の対立があっても話し合えば最終的にはwinwinが成立するに違いないと信じられるくらいにはきっと私は恵まれている。

 

具体的にどのあたりが恵まれているかというと、育ちとか資産とかどんな人に出会ってきたかという人間関係の部分であったり、あと自分の思ったことを過不足なく言葉にできて立て板に水でぺらぺら弾幕張れたりお互いの気持ちをきっちり交通整理できたり力技で問題解決できてしまうような知能であったり、たぶんそういうところにとても恵まれているのだろう。

いや恵まれてないけど。ちょっとびっくりするくらい盛大な外れを引いているけど。でも大外れではあったが底辺ではないのだろう。たぶんお育ちのよいわたくしは底辺がどんなものなのかすら知らないのだと思う。

 

 

それで、「あなたのためを思って」だとか「相手も喜んでいると思った」とか「おまえのせいでこんなひどいことになった」「あいつが気に食わないから叩く」とかいう自分も相手も全然得しない全方位射撃みたいなコミュニケーションはいったいなんなんだと思って長年疑問だった。

どうやら彼らのコミュニケーションに出口戦略は無いらしい。あいつが嫌いだから引きずりおろす。フェミが嫌いだから叩く。で?それでお前はどうなりたいの?どうなればおまえにとって最善なの??みたいな発想は無い。ただ目の前の気に食わない相手を叩くことだけしか頭にない。なんていうか、おまえに手足は無いの?自分の手と足と頭で自分にとってより良い物を勝ち取ろうという気持ちは無いわけ?なんでそんなんで生きてんの生きる意味あるのそれ????

 

それでたぶんそういう、目の前の気に食わない奴を叩くことしか頭にないやつらというのはおそらく、自分が状況を改善できたという経験が無いのではと思った。

 

生まれてこのかたずっと相手を叩いて引きずりおろしてマウントとることだけを考えている人たちに囲まれていたら、たぶん「全員の幸福の総量が増える」という状況を経験することなく成長してしまう。そんな中での勝利条件は「私の幸福を増やす」でもましてや「相手の幸福を増やす」でもなく、「私が不幸なのは大前提として相手をさらに不幸にすることで相対的に私の不幸を小さくする」になるのでは。

やべぇな。底辺やべぇ。人間の業深すぎじゃん。