雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

弱者男性という知的障害者への福祉を考える

なるほど「弱者属性を持つ男性」とはまた別の概念としての「弱者男性」というやつはつまり「自分の要求が他人の人権侵害であることを自覚できないくらい低い知能の方」なんだな。トランプ支持者とか陰謀論とかナショナリズムとか保守とか普通の日本人とかも。泣きわめき暴れることでしか自分の渇望を表現する方法を持っていない。知能が二歳児で止まってる。

 

それならそれで手の施しようがあるじゃんなんだよそういうことなら早く言ってよ。

 

自分の始末が自分でつけられない、現状を正しく把握することすらできず正しい判断もできず破滅的な方法に固執する。こういう患者に決定権を渡してはいけない。彼らの要求を鵜呑みにしてはいけない。彼らは自分が何を言っているか分かっていない。だから刑務所みたいな施設に閉じ込めて厳格に管理してあげるのが本人にとって一番幸せ。

いやその前にいろいろ穏便な方法を用意しないとか。低い知能の方は生まれつき知能が欠けている場合と、きちんとした教育が受けられなかった場合があって、前者はどうしようもないので施設に閉じ込めておくしかないけど後者は教育でどうにかなる。

結局これ社会が自分の欲求を正当な方法で主張する方法をないがしろにしてきた問題で、ディベートとかアサーションとかそういうのやってけばだいたい解決するやつなんか。

あと施設に閉じ込めとくとその管理誰がやるんだっていう社会主義の誤謬みたいな問題が持ち上がってくるので公式のマルチ商法みたいなの作ってそこに入れときゃいいんじゃないかな。パチンコみたいな。オウムみたいなのに入られる前にキンコン西野みたいなのに取り込んでプぺらせとけばいい。

 

モテないことの深刻なつらさを考える

一連の弱者男性の話題、まず弱者男性をカテゴリ分けしなくはいけなくて、
まず犯罪被害とか貧困とか発達障害とかで救済や支援が必要な男性。これは普通に弱者。性別関わらず地道にやってくべき分野。
で、ひっそり暮らしててそれに特に不満もない男性。これは別に弱者じゃないので特に言うことは無いです。

で、最後、今回妙に吹き上がってるやつら。
俺たちは差別されているぅぅぅと騒ぎ立てるのにいつどこで誰が何を言ったのか今後どうして欲しいのかを頑なに言わない。女は俺たちを人間扱いしないぃぃぃ!て、なんですかゴキジェットでもかけられましたか。
たぶん、女から男に向けたえげつないいじめなんか腐るほどあると思うんですね。女の加害は無罪という風潮もまだまだある。ハゲデブ童貞男は笑っていいみたいな前時代なやつらも多い。そういうのやめろと主張するならわかるし私も同意する。
ちょっと前なんですけどデブいじりしてる女性に遭遇して、本人の言い分では「私はいじって喜ぶデブしかいじらないから大丈夫!」だそうで、私も全力で応戦したわけなんですが。リアルでマサカリなげたの久しぶりだった。ああいうのどうしたらいいんでしょうね。私はキャラ的にも職位的にもあの手の発言許さないパーソンやってるので叩きのめしたけど、それで彼女が改心するかっていうとたぶんしなくて、たぶん彼女が改心することがあるならそれはデブいじりの被害者が自分の心境を語ったときしかないのでは。

いや話がそれたな。

とにかく、なんかいじめられてるなら言って。傷ついたなら教えて。その言葉が世界を変える。セクハラも性被害もそうやって変わってきた。







それで、残ったやつら。
なんか知らんが喚いていてでもどうしてほしいか言わないやつら。

こいつら結局、他者からの承認に飢えてるってことでよい?


男性から女性への加害性が社会的に容認されているので多くの女性は男性から日常的に被害を受け、女性は男性をうっすら嫌いになりやすい。かつ男性は感情を分かち合う術を教育されずコミュニケーションを女性に依存するため男性は女性をうっすら好きになりやすい。よって男児は父親にも母親にも嫌われる。
これは男性ジェンダー特有の問題でありこういった構造の被害者は「弱者「男性」」と呼ぶのが適切だ。


それで、愛されすぎて監禁されてストーカーされてた私では、承認されないつらさは分からない。パンが無ければケーキを食べればよくってよ。もうケーキ食べ飽きたからダイエットしようかしらおほほほほ


たぶんこれ、おけけパワー中島に近い問題なのでは。壁サーを眺める売れない同人作家の気持ち。壁サー作家が変なのに粘着されてても、構われない俺より恵まれてんじゃん!みたいな。

たぶんそれはそれで葛藤があって、その葛藤は誰かに否定されるものではなくて、そういう話ならそのつらさ増田にでもしたらなんか解決してくやつじゃないですかねしらんけど。

弱者男性とやらの生きにくさの本質

この増田

anond.hatelabo.jp

からこの記事

menhera.jp

に飛んで考えたこと。

 

 

 

メンヘラ男には救いはなく、慈悲はなく、助けもなく、ただただ不必要で汚らわしいものとして扱われ、静かに孤独に死んでいくしかないのである。

でもその孤独って福祉でもそれこそ女をあてがわれても救えないよね。結局生活保護もDVシェルターも皆保険も用意されてるのに手を伸ばせない自分自身の問題よね。

 

かのツイッター界隈では、「誰かに大切にされて、自分自身の在り方を認められている女性」に対して自分たちの境遇は不当であると怒る男性たちが多いのである。

男女平等ならば、女性も男性と同じくらい社会適応のために痛めつけられるべきだし、苦しんでいるときに助けてもらえない状況に置かれるべきだというわけである。

 なんでそこで他人の足を引っ張っちゃうかな。女が不幸になればお前は幸福になるのか?

 

 

 

もしメンヘラ男が「死のうとしていた俺を助けたんだから、死ぬまで面倒みてくれ。俺の人生に責任を取れ」と彼女に言ったなら、どうなるだろうか?

間違いなく別れを切り出される。

そりゃね、女でもそんなこと言ったら別れるよ。理解のある彼君をつかまえてるメンヘラ女性のやってることが『死のうとしていた俺を助けたんだから、死ぬまで面倒みてくれ。俺の人生に責任を取れ』に見えてる雑すぎる解像度なのが一番のそして唯一の問題。

 

無能な男は異性に媚売って守られる生き方すら許されず、それは即ち毎日が生きるか死ぬかの戦いで、この世に味方は一人もおらず、そこがどれだけの地獄なのか、考えたことがあるだろうか。

 

生活保護

いやね、日本の福祉制度は親と親族が強すぎて毒親だったときに詰む。そして男性の虐待サバイバーは福祉に理解されにくい。だから水際作戦みたいなのにも会いやすいのかもしれないしらんけど。だったらそこ具体的に窓口行ったけど男だったから生活保護受けられませんでした!みたいなの言いなよ。そこまで具体的に落とし込まないと他人は手出しできない。

 

 

それでこれいろんな人が指摘してるけど発達障害の問題で、つまりアイスクリーム課題であったりサリーアン課題であったりができない知的障害の人には社会生活が難しいという問題にいきつく。

平等な福祉以外を求める「弱者男性」とやらは自分の置かれている状況を言語化できず他者を攻撃することでしか自己表現できない知的水準の人たちで、彼らにとっての救いはマクドナルドの養豚場のような管理された監獄に収容されることでしか実現できないのではないか。

 

 

発達障害は個性なんかじゃなく障害なんだから自覚しろという話

1彼女は海が好きだ

2彼女は海が好きだった

 

Q今も彼女と付き合っているのはどちらか

 

 

という問いが分からない人がいるらしい。
そんなん分盲じゃん会話通じなさ過ぎて日常生活送れない。

 

ここで私が問題にしているのはこの設問に対して「厳密には答えはない」と思ってしまうことではないです。

あと、定型は「無意識に質問者の意図を汲んで解釈する」ではないです。

これは「質問者の意図を汲まず全ての可能性を検討するアスペ」vs「質問者の意図を汲んで唯一の回答を導き出す定型」の『個性』の違いとかでは決してない。

 

togetter.com

 

 

定型は「現時点で自分が考えうるすべての可能性を検討する」は当然行った上でさらに「質問者の意図を汲む」を行います。

で、アスペの何が迷惑かって、「(現時点で自分が考えうる)すべての可能性を検討する」だけを行って導き出した答えをペラペラペラペラしゃべりだしてしまうところです。おまえの解釈なんかしょせん「(現時点で自分が考えうる)すべての可能性」でしかなくて、そんなんおまえにとってしか重要でない。ということが分かっていない。おまえの幼稚で浅い読解なんか退屈すぎて聞いてられないんだわ。

なんか、自分の考えたことが他者にとってどれだけの重みがあるのかが分かっていない。

 

 

 

これ確かに曖昧な問題で、設問につきあっているかどうかの情報は含まれないので厳密には「その問いは成立していない」が正解で、彼女は海でおぼれて以来海が嫌いになったのかもしれないし海より山が好きになったのかもしれないし、過去も海が好きで今でも海が好きかもしれない。なんなら海というのは彼の名前なのかもしれない。

それはそうなんだけど、「今も彼女とつきあってるのはどちらか」と聞いた相手にその自分解釈を滔々とくっちゃべってしまえるその神経がわからん。「今も彼女とつきあってるのはどちらか」と聞いた以上、今問題なのは「つきあってるかつきあってないか」であってそこ以外は枝葉なのよ。

 

 

「醤油いる?」って言ったら「醤油いるorいらない」以外の答えを求めてはいない。そこで目玉焼きに醤油をかける是非についてとかそういうの聞いてないから。そんな講釈何十分も聞かされたくないしあまつさえ醤油をかけるなど言語道断塩こそ至高とかとかやりだして、朝の忙しい時間にわざわざ目玉焼き作ってやってこの後も出勤の準備が押し迫ってるのになぜ醤油派の私の嗜好を否定までされねばならんのか。

 

これでアスペ野郎の解釈が傾聴に値する素晴らしいものだったらまだ救いがあるんですよ。だけど「彼、彼女というのは一般的な三人称であるドヤァ」とか。中学校の文法レベルのこと言われても。

そもそも彼というのは本来は「誰そ彼」のような特定できないだれかのことで、特定の個人を表すようになったのは明治以降の英語の影響で、かつ「彼女」という言葉がでてきたのは昭和の庄司薫くらいからで、日本語における「彼女」はロマンティックラブイデオロギーの台頭によってできた「彼」に対する「彼女」であり英訳するならsheではなくgirlfrendなんですよ。そして「海」というのも、文学においては無意識であり無自覚な欲求の生まれる場所であり広大な世界の暗喩でありその人の本質であり感情を示す。だから「彼女」にとっての「海」がどのようなものであるかを語ることはガールフレンドの人となりを語ることとイコールになる。

いやここで、彼女が海でマグロ一本釣りする話が始まるかもしれないし、深海に潜るSFものかもしれないし、必ずしも「海」が無意識の暗喩であるとは限らないよ?限らないということは定型も十分わかってるよ?

 

 

 

というのが分からない、というのがアスペがウザい理由なんだなと。

 

 

定型がいきなり「彼と彼女がつきあってる」と言い出したときには、アスペが思うような解釈は一通り済ませた上で言ってんの。そこで「いや彼女は海が好きなだけで彼とつきあってるかどうかは関係ない」とかそいういう周回遅れのことをまるで俺様だけが発見した新解釈みたいに語りだすのほんと邪魔くさい。話が進まない。

 

みんなぼやかしてるけどASDは個性じゃないよ障害だよ。発達障害とか曖昧な言い方してるけど普通に知的障害だよ。定型にとって1+1くらい瞬時にわかる問題をめちゃくちゃ努力しなきゃわかんない知的障害。それで定型が割り算とか微積とかの話してるときに「俺は1+1が分かった!」とかって殴り込みに来るのやめてまじやめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だりい

私のやってることなんてしょせん有機野菜売りつけることなんだよなぁって。

いや諸条件が違いすぎるけどでも本質は有機野菜よな。誰でも作れる有機野菜と違って唯一無二なので市場が飽和する心配は無いけどこれ以上発展する見込みもない。ずっとこんなことやって年取って死んでくの、人生つまんなすぎないか。
人類がn万回繰り返してきた車輪の発明なんだけど、私のやりたいことと他人の欲しい物はちがうんだよな。わかってたつもりでわかってなかった。

たぶん私は欲望とか枯渇とかが本質的に分かってない。だから他人の欲望を満たすものが作れない。みんな楽して儲けたくて変わりたくなくて否定されたくなくてちやほやされたくて偉くなりたくて、平和とか哲学とか学問とかそんなんお飾りでしかない。そういう人が世の中を動かしててビジネスを一定以上の規模にするにはそういう自民党的なコミュニティーに所属しないといけない。自民党的なるものが全く理解できないのはビジネスにおいて致命傷で、むしろ私がここまでやってこれたのが奇跡に近い。


てのを一昨年くらいから懇切丁寧に教えられてやっとわかってきた。



これからどうしようかな…

「私は障害者になったら死にたい」をヘイトスピーチと断定する危うさについて

福祉界隈の人の「俺の正義が絶対正義」みたいな信念をそろそろ自覚してほしいなと。

 

「私は障害者になったら死にたい」は時と場合によっては「(だからお前は生きる価値がない)」という使い方もできてしまって、そういう使い方に関してはよくなくて可能であれば規制する方向も検討する必要がある。

という主張であれば合意できるのですが、そこから一足飛びに「私は障害者になったら死にたい」という表明は全てヘイトスピーチすであるというのはやりすぎ。

news.yahoo.co.jp

 

私が急に黒人になることはないので「私が黒人だったら死にたい」は考える必要のない過程でありわざわざそれを表明するのは悪意がある場合のみである、というのは成立するが、私が急に障害を持つ可能性は十分にあるため、「私が障害を負ったらどのように行動するか」は考えておく必要がある。そこで「障害を持ってもいないくせに仮定の話をするな」「どうせ実際に障害者になったら考えが変わるくせに」「そんなことは生涯を負ってから考えろ」とか言い出す人は、夫婦別姓について発言権があるのは今まさに籍を入れようとしている人のみ、学校の理不尽な校則に反対できるのは在校生だけ、とでも?虐殺に反対できるのはガス室にいるユダヤ人のみだと。市政のユダヤ人は殺される気持なんか分からないんだから黙ってろと。

「自分は障害当事者だけど自分の周りには死にたいという人が結構いる」という発言に対して「障害者の代表面するな、私の周りには死にたい障害者なんかいない」とか、もうそれさすがに読解力低すぎないか。元発言はn=1の観察だと明記してるのに突然書かれてもないデカ主語に怒り出すのもはや見えないものが見えてる。

 

 

 

あなたが死にたくない、と、私が死にたい、は無関係です。

あなたが死にたくないなら死ななければいいですが、だからといって私の口をふさがれるいわれはない。

 

 

 

で、あなたとは無関係なはずの「私が私の命をどう扱うか」という問題があなたにとって脅威になってしまう現実がある。そこですべきは私の口をふさぐことではなく、本来無関係なものが脅威になってしまう理由を解決することです。そしてそれは現在の日本では障害者に自分の命の決定権がないことが理由です。どんなに生きたいと主張しても、健常者や介助者の「でもおまえ死ぬべきだよね」の一言で命を脅かされてしまう、だから「私が障害者だったら死にたいと思う」なんていう無関係な他人の言葉にすら脅かされてしまう。問題はそこだよね。福祉界隈の人は自分の意見と他人の意見が違うということを無視しがち問題。そこに直面せずに無関係な他人の口を塞いで回ってもなにも解決しない。

 

 

 

 

 

 

あと命至上主義ほんとすげぇなと。

私は死にたいと思ってるけど介護者が許してくれないから死ねなくてずるずる生きてる人や、何年も根回しして自分が死にたいタイミングできっちり死んでいく人も腐るほど見てきてるんだけどそういうのすべて存在を抹消して「すべての人類は生きたいに違いない」を信じてるのなんらかの精神疾患味ある。コロナ自粛もそう。大切な命を守るためならすべての人類がすべてをなげうつのが当然と思えてしまうその心理状態一体なんなの怖すぎるんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犯罪者を「矯正」するために必要な教育

性犯罪とか、普通に閉じ込めておいたって出てきたらすぐ再犯するのでやっぱ教育みたいなの大事だな。というところまでは分かる。

で、じゃあどういう風に教育すればいいのさというと、とりあえず福祉につなぐ、犯罪しなくてもいいだけの生活の保障をする、みたいなのをやった上でそれ以上何をやればいいのか。とりあえずボコボコ殴って自分の立場を分からせてやればいいんじゃね?くらいしか思いつかない。

なぜ思いつかないかというと犯罪をする理由が分からないからだと思う。

生活に困って窃盗をするとかであれば生活に困らないようにすれば再犯しないだろうということは想像できる。そこまではわかる。でも性犯罪についてはなんでそんなことをするのか本気で分からない。痴漢治療をやってきた医者の手記とか読んでも意味が分からない。

 

それで、意味の分からない行動をしている他者というのはたいてい知能の問題なんだと考えるとわりと円満に解決する。彼らが不合理な行動をするのは合理を理解できる知能が無いからだ。

という仮説を立ててみて、じゃあ痴漢をするような人は精神がゴミクズのクソだから、ではなくてもしかしたら本人の中では合理的に思える行動をしているのではないか、ということでサリーアンについて考えていたらタイムリーにこんな話題が流れてきていた。

 

「見事不正解を決めました」解けない人には絶対解けないと言われる問題『アイスクリーム課題』に苦戦する人たち - Togetter

 

アイスクリーム課題というのはサリーアン課題のもう少し複雑なバージョンらしい。

この記事のコメントを見ると、サリーアンが理解できてない大人がけっこういる。いや理解できない人がいるというのは知識として知ってはいたけど目の当たりにするとやっぱり驚く。

それで、サリーアンが理解できない、というのは人間関係において相当な軋轢を生むのではなかろうか。

「俺はあいつが嫌い=あいつは俺が嫌い」と思い込んでしまえばむやみに攻撃的な人になり、それこそ「俺はセックスしたい=相手の女性は俺とセックスしたい」で暴走すれば性犯罪者になってしまう。

自分自身の心理を言語化して表現するというのは非常に難易度の高いことであり男性はその訓練を受ける機会がないため粗暴になりやすいのではと考えていたのだけどこれはつまり「サリーアンがクリアできていない」という一点に集約されるのでは。

 

彼らに必要なのは刑罰でも炎上つるし上げでもなく、自分の喜怒哀楽を自分のこととして表現できるようになるための適切な教育である、というところで止まってしまうとなにやら道徳めいた曖昧なものが目標になってしまうけど、サリーアンをクリアすることを目標にするのならもっとドライでシステマチックなカリキュラムが作れるのでは。具体的には刑務所でTRPGGMをやらせればいいんじゃね?あと推理小説を読ませるか。あとオセロ。

 

 

 

 

 

なんというか、性犯罪に巻き込まれた被害者の抱く人間不信というのは、加害者が何を考えているのか分からない点に由来するものがあるのではと思います。善良な人間、それまで信頼してきた温厚な人間、がニヤニヤ笑いながら加害してくるその精神構造が分からない。殴るとか蹴るといった暴力と違って性犯罪は、加害者の中では日常と地続きになっている。

私は男性、より正確に言えば現代日本において男性としてジェンダー教育を受けてきた人、を信頼できないのだけど、それは彼らが平然と加害を肯定してくるからです。痴漢にあった?自慢でしょ??夜道で一人歩きしてたら前を歩いてた女性が急に走り出してムカついたから追いかけてやった!そんなことより君かわいいねおっぱい大きいね!彼らは加害を加害と認識しない。自分にとって平気なことは他人にとっても平気なことだと無邪気に信じている以上、子供がトンボの翅をむしるがごとく無邪気に他者を害してくる。

そこで私はお前が気楽に口にしている言葉がどれほどの重みか教えてやろう、ってぶちきれ続けてきて、それはそれで業界の女性比率向上であったり女性幹部の増加だったりと、一定の効果が上がって入るのだけど、そろそろもうちょっと穏便な方法を探れる素地ができつつあるのではないか。できつつあるといいな。