雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

「私は障害者になったら死にたい」をヘイトスピーチと断定する危うさについて

福祉界隈の人の「俺の正義が絶対正義」みたいな信念をそろそろ自覚してほしいなと。

 

「私は障害者になったら死にたい」は時と場合によっては「(だからお前は生きる価値がない)」という使い方もできてしまって、そういう使い方に関してはよくなくて可能であれば規制する方向も検討する必要がある。

という主張であれば合意できるのですが、そこから一足飛びに「私は障害者になったら死にたい」という表明は全てヘイトスピーチすであるというのはやりすぎ。

news.yahoo.co.jp

 

私が急に黒人になることはないので「私が黒人だったら死にたい」は考える必要のない過程でありわざわざそれを表明するのは悪意がある場合のみである、というのは成立するが、私が急に障害を持つ可能性は十分にあるため、「私が障害を負ったらどのように行動するか」は考えておく必要がある。そこで「障害を持ってもいないくせに仮定の話をするな」「どうせ実際に障害者になったら考えが変わるくせに」「そんなことは生涯を負ってから考えろ」とか言い出す人は、夫婦別姓について発言権があるのは今まさに籍を入れようとしている人のみ、学校の理不尽な校則に反対できるのは在校生だけ、とでも?虐殺に反対できるのはガス室にいるユダヤ人のみだと。市政のユダヤ人は殺される気持なんか分からないんだから黙ってろと。

「自分は障害当事者だけど自分の周りには死にたいという人が結構いる」という発言に対して「障害者の代表面するな、私の周りには死にたい障害者なんかいない」とか、もうそれさすがに読解力低すぎないか。元発言はn=1の観察だと明記してるのに突然書かれてもないデカ主語に怒り出すのもはや見えないものが見えてる。

 

 

 

あなたが死にたくない、と、私が死にたい、は無関係です。

あなたが死にたくないなら死ななければいいですが、だからといって私の口をふさがれるいわれはない。

 

 

 

で、あなたとは無関係なはずの「私が私の命をどう扱うか」という問題があなたにとって脅威になってしまう現実がある。そこですべきは私の口をふさぐことではなく、本来無関係なものが脅威になってしまう理由を解決することです。そしてそれは現在の日本では障害者に自分の命の決定権がないことが理由です。どんなに生きたいと主張しても、健常者や介助者の「でもおまえ死ぬべきだよね」の一言で命を脅かされてしまう、だから「私が障害者だったら死にたいと思う」なんていう無関係な他人の言葉にすら脅かされてしまう。問題はそこだよね。福祉界隈の人は自分の意見と他人の意見が違うということを無視しがち問題。そこに直面せずに無関係な他人の口を塞いで回ってもなにも解決しない。

 

 

 

 

 

 

あと命至上主義ほんとすげぇなと。

私は死にたいと思ってるけど介護者が許してくれないから死ねなくてずるずる生きてる人や、何年も根回しして自分が死にたいタイミングできっちり死んでいく人も腐るほど見てきてるんだけどそういうのすべて存在を抹消して「すべての人類は生きたいに違いない」を信じてるのなんらかの精神疾患味ある。コロナ自粛もそう。大切な命を守るためならすべての人類がすべてをなげうつのが当然と思えてしまうその心理状態一体なんなの怖すぎるんだけど。