雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

女性的コミュニケーション様式が実はそんなに苦手じゃなかったと気付いた

わーすてきーきゃーかわいーいいね私もほしい!

だけで全てが成立してる空間、実はきらいじゃない。

 

これまでずっとそういうの大嫌いキャラでやってきたしなんなら会話できないASDだと思われてるけど、別にやればできる。というかむしろなんも考えずにコミュニケーションすると合コンさしすせそになる。そっちのが圧倒的に快適。

でも、さすがーしらなかったーすごいセンスいー!そうなんだー、ってやってるといつまでたっても下座しか用意されなくて話が進まない。私が嫌いなのはサラダをとりわけたりビールを注文したりお茶くみしたりそういう雑事で時間をとられること、あるいは大事な会議に呼ばれないこと、発言を遮られること、私だけじゃない全ての女性の価値を下げること、であってさしすせそそのものは別に嫌いじゃない。

 

さしすせそ文化はその場の全員がさしすせその使い手であればとても快適。

ということは逆に一人でもASDが混ざると一気にそいつの独演会になって苦痛でしかない。なのでわりと強烈に異分子を排除する力が働く。今みたいにSNSで手軽に集まれる時代ならともかく、ムラ社会では津山三十人事件みたいなことが頻繁に起こっていたと思う。

あと、さしすせその使い手が少数派なとき、つまり、男社会にさしすせそ女が混ざりこんだ時、さしすせそはシロクマがいうところの「嫁」になる。無償で無限に雑事をこなす奴隷。私はこれがいやすぎてずっとさしすせそを封印してきたわけで。男社会においてさしすせそはデメリットでしかない。なのでこの先もずっとさしすせそを使わずに生きてくのだろうなと思っていた。

 

 

 

だけど良質なさしすせその使い手ばかり集まるコミュニティをつかまえてそこで「すごいーさすがかわいいーーー」をやってるとすげぇらくに商売できる。精神的負荷がほぼゼロ。コストがゼロなのに儲かる。