はてなで精神異常の話がぽつぽつ出てくると春だなと思うこのごろ。平和でなによりです。
https://anond.hatelabo.jp/20230322211236
増田はとりまてんかんと虚血性疾患の検査をうけなね。お大事に。
そも、記憶は連続しているものという社会通念自体が幻想であり記憶というのは脳の幻覚にすぎないということに現代社会が無知すぎるために起こる齟齬について。
記憶を正常にしようという方向性でなく、記憶がガタガタなタイプの人として特性を受け入れるほうが楽なのではという仮説です。
多分私はストレスがかかるとエピソード記憶がふっとぶタイプなのだと思う。そしてそういうタイプの人は実は結構いる。
ここで意味記憶や手続き記憶が消えると大事になるけれど、エピソード記憶は消えてしまってもさしあたり問題ない。私が誰で今何をしていてどこに向かっているのかなど分からなくても車の運転方法さえ覚えていればとりまなんとかなる。行先を忘れたなら知人に電話して聞けばいい。
そんなタイプの人はたいていは「とぼけた人」「ケアレスミスが多い人」などという認識で、記憶が欠けているという自覚すらなく普通に生きている。忘れてしまったエピソードなど最初からなかったのと同じなので不安にもならない。
問題は忘れしまうことではなく、忘れていることに気づくことのほうで、なぜ気づいてしまうのかというのには2つの理由が考えられる。
1つ目は、健忘があまりに大規模な場合。
気づいたら全然知らない言葉も通じない外国にいたとか、断崖絶壁を覗き込んでいたとか、知らない人と寝ていたとか。さすがにごまかせねぇーー!!!という状況のとき。
ただこれに関しては私は懐疑的で、やべぇ状況なら必ず正気に戻るかと言うとそうでもない。狂人はどんな壊滅的な状況になっても異常さに気づけないからこそ狂っているのであって、空気を読んで正気に戻れるならもはやそれは正気ということでいいと思う。
では何をきっかけに「正気」にもどるのか、自分の不整合に違和感を感じるのか、というと、これは自分の行為が自分にそぐわないという違和感が強いときなのでは。
目玉焼きに何をかけるか大してこだわりがない人は自分が目玉焼きにソースをかけている時に疑問を持たない。だからソースをかけるに至った過程を忘れていることに気づかない。
でも、知らない人と気楽にセックスすることに強い違和感がある人は知らない人とセックスしているときに違和感を感じる。なぜこんなことをやっているのか考え、思い出そうとしてそこではじめて自分の記憶の欠落に気づく。
ソースをかけるときもセックスするときも同じく記憶なんか無いのに、セックスだけ欠落に気づく。
そんな感じで、欠落に気づいてしまうときは自分が自分でしっくりきていないときなのではと最近は思うようにしている。
なにかしら、仕事とか人間関係とか何かで、自分らしくない行動をせざるを得ないときに違和感に気づく。
そして案外多くてかつ見落とされがちな原因として、記憶は連続しているべきであるという観念自体がストレスということもよくある。やたらに言動に整合性を要求してくるプライバシー踏み越えババアなどが近くにいるとめちゃくちゃストレス。「男の格好しているときと女の格好をしているときがあるけど女装趣味があるの?」だとか「結婚しているって言ってたのに独身ってどういうこと??」だとかうるせえ私は私の着たい服を着ているだけで女装も男装もしてねぇし結婚(偽装)はしてるが結婚はしてねぇんだよ「そんなに社会常識がないのによく仕事できてるね?!」とかうるせえぇぇぇできてねーよバーカバーーカ!!
もうそういう人とは相性が悪すぎるということでお互いのために距離をとることにしている。
覚えていないのは仕方ない。というか人間はだいたいいろいろなことを覚えておらず平然と奇行をやっている。問題は奇行ではなく奇行に気づいてしまうことで、その原因はたぶんなにかしらの違和感なのでそのあたり気づけるとよいのではと思う。