雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

理論的に話せないのはお気持ちを優先できてないのが原因説

「昨日の晩御飯は何でしたか?」

に対して、私はカレーが好きで特に豚肉を入れて玉ねぎをよく炒めたやつがよくて毎週金曜日はカレーを食べに行くのだが外食は体に悪いから云々、のようなことを言い続ける人の頭の中はどうなっているのか問題

 

理論的思考をする訓練を受けていないまたはそもそも理論的思考ができる知能がない、という仮説のもと、めちゃくちゃわかりやすいマニュアルを作ったり、質問を工夫したり、こまめに報酬を与えたり、そういう犬のしつけ方式だとだいたいは上手くいかない。むしろやればやるほど悪化して話しがどんどんぐちゃぐちゃになって何故か最後キレられる。キレたいのはこっちなんだが。理不尽

 

 

そういう奴はとにかくものすごく自罰他罰志向で、なにかが好きとかなにかやりたいとかいうのは全て悪。正しいこと=嫌いなこと我慢すること という学習をしてしまっているのだと思う。

腹が立つのが、自罰志向のくせに自分には甘々で、痩せたいといいながら爆食い、のような行動をとる。だがこれも自罰志向の1種で、痩せたい=嫌なこと=正しいこと という認識で彼らは痩せたいとか仕事が出来るようになりたいとか病気を直したいとか言う。

 

つまり彼らの口にする「したい」「すべき」は文法上は願望の形をとってはいるが願望ではなく「嫌なこと、やりたくないこと、なんだかんだ理由をつけてやらないこと」と読み替える必要がある。「痩せたい」は「ダイエットとかしたくないしやらない」の意味。つまりこれまで私は「ダイエットやりたくない」と言っている人にダイエットのやり方を答えてキレられていたわけだ。理不尽。

 

またこの「嫌なこと、やりたくないこと」からの発展として「私以外の誰かが代わりにやっておいてほしい」の意味も発生する。よって暴飲暴食で入院して治らないと医者にキレる、などの他罰志向にもつながる。しらんがな無茶言うな

医者や窓口職員にキレ散らかすのも、怪しげなサプリや宗教やギャンブルなどに高額を搾取される思考もこれで説明できる。痩せという自分にしかできないことを誰か代わりにやってもらえるという発想があるからこそ、代わりにやって貰えそうな宗教に貢ぎ代わりにやってくれない職員にキレる。

 

 

つまり理論的に話せない奴らに必要なのは理論的訓練ではなく「痩せたい」あるいは「痩せたくない」を正しく言うこと、自分の願望をきちんと認識し表現し認められることなのでは。

 

そもそも理論はお気持ちなくして成り立たたない。

数学や物理だって出発点はでかいピラミッドつくりてー!とかなわけで。なんかやりてーー!どうやればできる??がないと知性が始まらない。つまり奴らは未だサピエンスになれていない猿のまま人類に擬態している。