雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

景気回復なんて簡単だ。なぜ賃金が回復しないかプロに聞いてみたので小並感を書く。

未来を犠牲にして税金をじゃぶじゃぶ投入しているのに一向に景気回復しないのはなぜなのか、ずっと疑問だった。

 

そしたら友人の経済学者がそんなこともわかんねーんかばーか、みたいなすっごい憐れんだ目をしてめちゃくちゃ分かりやすく教えてくれた。せっかくなのでそれを8ビットくらいしかない脳みそで解釈して偏見を山盛りにしつつまとめてみた。

 

 

 

追記:続きも書いた。

hedgehogx.hatenablog.com

そもそも『賃金が回復する』とは

いわゆる景気回復、昔みたいに終身雇用で給料が上がっていって定年退職したら悠々年金生活で医療費無料、という状態を起こすためには、労働者一人当たりの生産性を高めなければいけない。

つまり、「景気がよい」という状態を作り出すためには一日8時間働いて年商3000万~数億くらい稼ぎ出して、その中から給料やら税金やら年金やらを捻出する必要がある。それくらい稼がないと年金も医療費も賄えない。

 

でも一人当たりの労働量はどんなにがんばっても一定である。どんなに優秀な社畜でも一日20時間とか30時間働くことは不可能だ。だから時間当たりの生産の密度みたいなものを爆上げする必要がある。

 

生産密度が爆上げできる仕事とは

たとえば、手作業で箱を組み立てる仕事をしている人がいるとする。彼はどんなに熱心に働いても一日に100個しか箱を作ることが出来ない。だがそこに機械を導入すれば一日に1000個でも1億個でも作ることが出来る。これが生産密度を上げる仕組み。要するに大量生産をすれば能率が上がる。

それからたとえば、100部しか売れない新聞でも一億部売れる新聞でも作る手間は同じ。だから同じものが大量に売れれば売れるほど能率が上がる。

 

豊かな時代は貧乏とイコール

バブルの時代というのは、皆が同じものを欲しがった時代だった。

だから一度生産ラインを作ってしまえばあとは少ない労働でめちゃくちゃ儲かって笑いが止まらない。

 

だけど現代では、最低限のものは皆持っていて、欲しいものが分散している。

単にテレビ、ではなくて、何インチだとか画質がどうとかブルーレイが見れるかとか端子がどうだとかデザインがどうだとか、細かく細かくランクわけされたものがほしい。

車、ではなくて、色だとか形だとかカーナビだとか電子ロックだとか搭載オーディオだとか、細かく細かく違いを指定したい。

 

現代の産業はオーダーメイドにならざるをえなくて、一度作った生産ラインを使いまわしできない。だから一人当たりの生産の密度は下がる。

 

 

医療と福祉は貧乏量産装置

医療と福祉に何百兆円と税金が投入されているのに、看護師も介護士も給料が上がらないのはなぜだろうと疑問だった。

 

hedgehogx.hatenablog.com

 だけど考えてみると、医療福祉は究極の一対一サービスだから生産密度がすごく低い。

医者はどんなにがんばっても一日数十人しか診察できないし、看護師だって一度に数十人しか見れない。だからスタッフ一人当たりの売り上げは決まってきてしまう。だから医療福祉分野のスタッフは人手不足だけど万年貧乏になる。市場原理が働かない。

 

例外は薬価で、薬は処方さえすればどんどん儲かる。面倒な処置や手術をしなくても処方箋に一行書き加えるだけで数万円の利益になる。だから医師の給料は高い。だから江戸時代みたいに、自前の薬草園から採ってきた薬草をごりごり潰して丸薬にした薬しかなかったら医師の給料は低くなる。実際江戸時代の医師の給料と地位はとても低かった。

べつに医師が医療に責任を負っているから給料が高いのではなくてそれだけ稼ぐツールがあるから高いだけ。

介護士の給料が安いのは介護が下等な仕事だからではなくて彼らが一対一のサービスを提供しているから安いだけ。

なんとも非情だけれど、これが市場の神の手というやつの現実だ。

 

多様性と豊かさは等価交換

多様性と豊かさは両立しない。

バブリーな豊かさは「皆が同じものを欲しがる、皆が同じ仕事をし同じライフスタイルで暮らし同じ趣味を持ち同じ価値観を持つ」という社会でしか実現し得ない。

一人ひとりが自分の好きなように生きて好きなものを欲しがる社会、つまりマイノリティに優しい社会は生産性が低くなり、食うや食わずのカツカツの生活となる。

 

 

景気回復の犠牲になるもの

「景気がよい」という状態は「皆が同じものを欲しがる」とイコールで、だから景気回復するためには皆が同じものを欲しがらなければいけない。

 

「皆が同じものを欲しがる」という状況は欠乏と直結する。

スーパーやコンビニに食料が溢れていてスマホとPCが標準装備で電車が1分に1本通っている生活をしている以上、「皆が同じものを欲しがる」という状況は生まれない。

でも逆に、飢えている人は100%食料を欲しがる。だから食料を売ればめちゃくちゃ儲かる。だけど飢えていない人は栄養価だのオシャレだの安全性だのごちゃごちゃうるさいことを言う。だから儲からない。

 

 

景気回復なんて簡単だ。

 

景気を回復させるためには、何かを決定的に欠乏させなければいい。食料は手に入らずネットは繋がらず住む家も無くなれば皆同じものを欲しがり出す。

なんだったら一度ミサイルでも落として国土を焼け野原にすればいい。

 

逆に、それを望まないのだったら景気回復は不可能だ。

その等価交換を受け入れる覚悟があるのか、まずそこをよく考えなければいけない。豊かになりたい、無限のサービスを受けたい、だけど今の便利さは手放したくない、なんていうのは将来の負債を増やし若者を使い潰す言い訳でしかない。

 

だから私は望月優大さんみたいな人にすごく問いたい。

hirokimochizuki.hatenablog.com

あなたは「よりよい社会」「豊かな社会」を実現すべきといっているわけだけど、それはつまり一人当たりの生産性を上げる「みんなが同じものを欲しがる」社会を要求しているわけだけど、それはマイノリティにとってとても酷なムラ社会なわけだけど、そのあたり自覚して主張していますか?あなたの求めているのは全員が量産型ザクみたいに同じ生活をして同じものを買う社会なわけだけど、落伍者は容赦なく潰されるわけなんだけど、そんな人生を肯定しているのですか?と聞いてみたい。

 

景気回復とファシズムの親和性

そのあたりよくわかってなくて、多様性を尊重しつつもバブリーな豊かさを実現すべきという主張をしてドロ沼に嵌っているのが現代なのだと思う。

そしてバブリーな豊かさのために個の多様性を犠牲にしてもよいという老害がトランプであり安倍であり都民ファーストでありベネズエラであり、世界中に不気味に渦巻くアンチリベラル、ファシズムシンパなのだろう。

 

 

だからやっぱり、景気回復なんてしなくていいと思う。

だれかさんではないけれど『平等に貧しく』なればいい。というより自由と豊かさを享受以上平等に貧しくなることを受け入れなければいけない。

小さくこつこつ働いて、ひと一人カツカツで生きていける程度の収入を得て、病気や怪我で働けなくなったら余計な延命治療をせずに穏やかな死を迎える。

 

貧しくて困ることなんてあんまり無い。

現代の貧しさは個性を尊重し多様性を重んじる対価としての貧しさ、いわば趣味の貧しさである。

いいじゃんそれで。むしろそれでなんか困ることある?

せいぜいフォアグラやキャビアが食べられないとか、シェラトンに泊まれないとか、芸者遊びができないとか、外車やクラウンに乗れないとか、延命治療できないとか、それくらい。そんなんべつにやりたくもない。

 

一対多を前提としたバブリーなものは得てして質が悪い。銀座の飯は超不味いし、芸者の話はつまらない。地元の有機野菜とか、おもしろいことやってる起業家とかのほうがよっぽど楽しい。

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

 

相模原の大量殺人を肯定する理由

再三言っているけれど、私は相模原の大量殺人を肯定する。

多様性を重んじる社会、一対一のサービスが充実した社会では、自分ひとりで生きていけない人は生きられない。それはキリストの言う他殺と自殺の禁止とは意味が違う。医療が神の領域に踏み込んでしまった現代における重度障害者とは、一般人が素朴に想像する障害者、乙武さんやバニラエアで炎上した人や24時間テレビに出てくるような軽い障害の人達とは全く違う。現代社会は本来であれば死ぬべき人を、誰も望まないのに生かしている。

 

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

 

新しい貧しさ、新しいファシズム

実際貧困や福祉の中に入って体験してみるとよく分かるのだけど、「貧しい」とか「弱者切捨て」という言葉の意味が昔と全然変わってきているのだと思う。

 

自由の対価としての趣味の貧しさと、天保の大飢饉みたいなガチな貧しさは混同してはいけない。

キリストの説いた弱者像と、神の領域に踏み込んだ現代における弱者像は全然違う。

 

 

もちろん、現代においてガチな貧しさやガチな弱者切捨てが無くなったなどと言うつもりはない『平等に貧しくなる』過程でガチな貧困に突入する危険性を無視するつもりもない。それらは以前脅威で有り続け手厚い対策を必要としている。

 

でもそれとは別に肯定すべき趣味の貧しさと趣味の弱者切捨てというのも発生していて、それらを旧来の貧困と同様に救おうとするのはつまり 景気回復=落伍者を許さない社会 を肯定することで、だからこそ政治活動をすればするほど若者は政治から離れていく。

 

 

まとめ

すごく長くなったけど、なんかもう貧しくていいじゃん。稼げなくなったら死ねばいい。別に医療も教育もいらないから普通に平穏に今日をすごせればそれでいいよ。といういつもの主張でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転職に成功する方法をソシャゲから学んでみる

 

この記事はしょっぱなからオタク全開でお届けしています。

うちの小夜たんと五虎たんは天使です。来たれお兄ちゃんズ。

 

 

今の職場が苦痛だから転職したいという人の話を聞いて思ったんだけど、失敗する人は偶然失敗するのではなくて失敗するように行動しているから失敗するんだなと思った。

 

どんな分野でも成功する確率というのはせいぜい1%とか0.1%程度で、1000回試行してやっと1回成功するくらいのものなのだろうと思う。そして失敗次のためのデータの蓄積にすぎない。失敗は恥ずべきことや再起不能の打撃ではなくただのデータ。

 

オタクにしか分からない説明かもしれないけど、

成功の確率はソシャゲのガチャでレアが出る確率くらい低い。三日月さん出るまで厚樫山周回するでしょ。その副産物でカカカとかCCOとか何百体もドロップするでしょ。そうやって拾ったピカチュウやたぬきは既存キャラの強化に使うから無駄にはならない。

みたいな。

 

そんで失敗する人というのはガチャを1回しか引いていないのに三日月さんが出なかったといって嘆いている。

いやおまえ三日月ドロ確率は0.1%やで。それ1回で出たら逆に気持ち悪い。

 

 

だから、転職したいんだったらひたすらガチャを回す。一度のガチャに資源を全てぶち込むんではなくて、1000回とか2000回とか回し続ける。

逆に言えば、5000回くらいガチャが回せるくらい余裕を持って少しずつ進んでいく。いきなりオール950松札で回したらすぐに資源が底を突くから、まずはオール30札なしで一杯回して短刀を集める。そんで短刀たちを使って資源を集めて次はオール250で打刀を狙う。みたいに少しづつPCDAサイクルを回していく。

 

転職に失敗する人というのは、ぶっつけ本番で第一志望の面接に行っちゃったりする。たぶん彼らは手持ち資源を全部つぎ込む以外の選択肢を知らない。

 

だけどほんとは「転職したいです」「こんな職場を探しています」みたいなことを周りの人に言うのがまず第一歩だと思う。そうやっていろんな人に自分の考えを話していろんなフィードバックを貰うことでブラッシュアップしていくうちに自分の本当に求めているものがクリアになっていく。あわよくばよい職場を紹介してもらえるかもしれない。

なんだけどそれをやるには普段からの人脈が必要で、頭の硬い老害上司や苦労知らずのエリートんかに転職の相談をしたって却下されるだけだ。つまり転職活動の第一歩は数十年かけた地道な人脈構築だったりする。

 

逆に言えば、人脈と信頼さえあれば転職でも起業でも楽勝なんだよね…

あれ、これつまりコミュ障は視ねってことか。

 

 

自分のやりたいことを発信するためには人脈と信頼と打たれ強さが必要で、それらは成功経験によって形成される。だから健全な家庭に育ち健全な自意識を育み子供のうちに成功経験とノウハウを積み上げた人は強い。

あれ、これつまり虐待サバイバーは氏ねってことか。

 

あれどうしよ、脳筋老害みたいな結論になってしまった。

 

 

だけど人脈と信頼と打たれ強さは好転的な学習でも作ることができるよね!たぶん。

やみくもにがんばれとか我慢しろとかではなく、もっとシステマチックに人間社会のシステムをハックする方法を伝える学問体系がどこかに無いものだろうか。私は社会学と心理学の本を片っ端から読み漁って各種専門家と討論しまくって学んだんだけどそれだと能率が悪すぎるから、もっとお手軽なやつがあればいいのに。

 

 

 

 

 

キモくて金のないオッサンに対する、女性と男性の間の温度差

キモくて金のないオッサンを救済すべきかどうか、みたいなのがはてな界隈でブームになっている。

まぁそもそものエマワトソン演説は男性ジェンダーを内面化した人全てに向けたものであって弱者男性の話なんかしてないよね、男性ジェンダーを語るエマが男性とおつきあいするのに矛盾なくね、と思うけど。エマの演説なんてきっかけにすぎなくてぶっちゃけどうでもいいんだろう。

 

で、すごくモヤモヤするのが、キモくて金のないオッサンという人物像に対して女性は「できればそんな奴は滅んで欲しい」と思ってるけど男性は「そんなオッサンがいてもいいじゃないか」というくらいのノリの人が多くね、というところ。

plagmaticjam.hatenablog.com

topisyu.hatenablog.com

↑この方は女性みたいだけど。

女性が射精を好ましく思わないなんて当然じゃん。ちんことザーメンにどんだけ傷つけられてきたと思ってんの。

射精を経験する立場ではない女子生徒が、月経よりも射精をネガティブに受け止めているのは、ちょっとどうかと思う。これは、教育でどうにかできる範囲ですよね。

正しい教育を与えることででどうにかなる、ということは女子生徒にとって射精は未知なだけであって嫌悪の対象ではない、というのが前提ですよね。

なにそれどんだけ幸せな性生活を送ってきたの。痴漢にあったことが無いのかな。女性が男性性に傷つけられるという構造を温存したままで「ちんこはよいものです」なんて建前を教え込むとかグロテスクすぎんだろ。

男性が自己嫌悪を克服するために必要なのは、女性が射精を嫌悪せざるをえない構造の改変であり男性性のありかたを問い直すことだ。男の性欲は抑制できないとか、射精の後に賢者タイムに突入するのは生理現象だとか寝ぼけたことを言っている馬鹿共の意識改革。

 

 

エロの表現規制もそう。「許されるなら世界中のキモいエロを燃やし尽くしたい」と思うのは大概女性で、「エロくらい別にいいじゃん」と思うのは大概男性。

 

私としては正直なところキモいオッサンには可及的速やかに滅んでほしい。それはゴキブリが絶滅すればいいのにとか、満員電車がなくなればいいのにとか、そういう生理的な嫌悪感に基づいている。誰だってナイフ振り回して無差別に切りかかってくる殺人者と一緒にいたくないでしょ。キモいオッサンというのはそれくらい有害だ。

どれだけきれいごとを並べても、女性を平然と消費するキモいオッサンというのは実在していて、犠牲になる女性も後を絶たない。ほんと死ねばいいのに。

 

たぶんキモいオッサンを嫌悪している人というのは私を含め、キモいオッサンの被害に合ったのだと思う。

キモいオッサン=犯罪者という定義で考えたとき「キモいオッサンもキモいままで存在していい」とかふざけんな、となる。「犯罪者は犯罪者のまま存在していい」とかありえない。犯罪者は当人と社会が再発防止に努めるからこそ社会に受け入れられる。犯罪犯し放題なのに泣き寝入りしろとかほんとありえない。

 

ということで、キモいオッサンがエマのような女性にキモがられるのは、犯罪者扱いされているから。ちゃんと反省して再発防止に努めれば受け入れてあげてもいいよ、というのが我々の言い分。

 

でも、キモいオッサンのセクハラ行為は犯罪ではない、あるいはキモいオッサンはサイテイセクハラ野郎のことではない、という定義であるなら、我々の言い分は普通に善良に暮らしているキモいオッサンにいきなり上から目線で悔い改めよと怒鳴り散らして僅かな娯楽すら奪おうとする行為に映るのだろう。

 

 

 

昔、性的被害のロールプレイをしたことがあります。具体的には男性数人を突然物陰に引きずりこんで無理やり服を脱がそうとしてみました。もちろん合意の上で、服を脱がすといってもシャツのボタン数個で触ったのも太腿程度。

それでも被験者の男性たちは人生が変わるほど恐ろしかったと言いました。

ちょっと触るというほんのお遊び程度の、女性であれば誰でも体験しているようなごく軽いハラスメントでも、自分が被害者になることを想像したことすらない男性にとってはパニックになるほど恐ろしい体験だったようです。

 

男性のお気楽な娯楽で女性は相当傷ついています。だからキモいオッサン=加害者男性を憎み弾劾します。そしてそのことを加害者である男性は気づけない。

ですが同様に、女性が男性を傷つけていることもあると思うのです。きっと。いや本音を言うと今まで散々無邪気に私を殴ってきた相手を慮るというのは相当に気力のいることですが。でもやっぱり、加害者は被害者の気持ちに気づけない。そして女性が加害者になっていることも有りうると思う。

 

エマは男性に対して「我々は仲間である」と宣言しました。次にやるべきことはお互いの傷つきをお互いに認め合うことなのでしょう。傷つきすぎてしまった我々は、今はお互いを攻撃することしかできませんが、このののしりあいが終わったらきっと新しい一歩が踏み出されるのだと信じています。

 

 

 

 

景気回復の努力の方向性が間違っている可能性

医療費は何十兆円もかかっているはずなのに、現場はいつでも人手不足で資材不足で貧乏。聞いた話だとどうやら教育も警察も福祉もそんな感じっぽい。

いったいどこに金が消えてるんだろうと素朴に疑問に思っていたんだけど、これ努力の方向性を間違ってて努力すればするほどドロ沼に嵌るやつじゃね。

 

小学校の宿題が子供の発達段階を完全に無視した全く勉強にならない苦行と化していて苦情を言いに行ったら「みんな我慢して宿題をやっているのだからお前の子だけ楽をするのは許されない」みたいなこと言われてファーてなった。

『勉強をできるようになること』が目的のはずなのに『無駄な宿題をやらせること』を目指してしまって細かいチェック票を作って休み時間を潰して宿題やらせてる。理不尽な宿題に心が折れた子供のぐちゃぐちゃな回答を一つ一つ直してもう一度やらせて、これもう地獄だよね。宿題地獄。

もうしょっぱなの入力が完全に明後日の方を向いてるから、バグの修正に膨大な労力をかけなくてはいけなくなっていて、修正に労力を前振りするから、最初の入力を見直す余裕が無い。

 

『無駄な宿題を完遂すること』という間違った問いを入力してしまうとバグの修正に莫大な労力がかかる。だけど『勉強ができるようになること』という正しい問いを入力するとすごく楽、ということを知っている人は少ない。

 

誰にとっても無駄でしかない賽の河原な宿題を強制してお互いげんなりしながら徒労感のみ募っていく出口の見えないドロ沼を這いずり回り続ける労力があるなら、一人ひとりの子供に合わせた宿題を決めてあげればそれで解決じゃん。

ちゃんと「この宿題ならやりたい」と思えるものを提供できれば提出率も正答率も上がって管理・監視の必要は無くなる。ほんとすごく楽。

 

なんだけど、不毛な目標を設定してひたすら努力・管理・監視を強化していく方法しか知らない人が多すぎる。

 

多分最近の経済の失墜もそういう構造なんじゃないかと思った。

www.asahi.com

こういう馬鹿みたいな発想をするから無駄金になるんだろうと。

禁煙を義務化するっつったってだれも聞きゃしないし、そもそも個人の自由に踏み込むべきじゃない。やるべきは禁煙の啓蒙だったり分煙だったりというシステムを整えていくことなのに、構造を手付かずに個人の努力だけを強いる。

そりゃね、そっちのが楽に見えるんでしょうよ。素人さんには。

構造を変えるということは利権が絡むということだから。地道な啓蒙は短期的に見れば無駄にしか見えない。

 

 

でもほんと、こういう発想そこかしこで見るよね。

 

医療費じゃぶじゃぶ使って製薬会社儲けさせてるくせに現場では早期退院を強いたり。エビデンスがどうのと言ってるけど半端な状態で家に帰して結局悪化させるの罪深いと思わないのかな。

教員が足りないからってやりがいをアピールしたり。やりがいの前に給料と待遇だろ教員どんだけブラックなんだ。

環境保全を叫んでスーパーのレジ袋有料にするくせにトレーや包装はあいかわらず過剰なまま。本気で取り組んだら包装作ってる会社から圧力かかるものね。

 

金は使いたい、利権は守りたい、権力者に影響の無い範囲で下々を締め付けたい、みたいなことだろうか。国民は生かさず殺さず死ぬまで搾り取れ。

いつからこんなになったんだろ。そしてどうすればいいんだろ。

 

 

医療費が増えてるのに景気が回復しないのはなぜ?

反緊縮、増税反対、公共事業で仕事を増やして給料が上がれば消費が増えて経済が回る、と言われている。でも医療費に関しては増えると財政を圧迫すると言われるのはなんで?矛盾してない??

 

2017年現在、日本の医療費は41.5兆円なんだそうです。そのうち半分が人件費。医療や介護全体では110兆円。

 

てことは20兆円が医療スタッフに支払われているはず。高齢化社会で医療福祉スタッフは引く手数多。彼らの給料がどんどん上がって豊かになって景気回復したりしないのなんで?

それだけのお金が投入されてるのに、現場は常に人手不足で過労でブラックなのはなんで?

 

 

私の知る限りでは、10年くらい前に医療サービスがとても充実した時期が一瞬あった。人員がきっちり確保できてそれなりに満足できる医療が提供できていた。警察官やってる友人に聞いたら、同じ時期に警察も充実していて交番に常に巡査が配置できるくらいだったらしい。

その後坂道を転げ落ちるように状況が悪化して、今では病気になったら入院せずに野垂れ死ぬほうが楽かもしんないくらいのレベルになってる。

110兆円はいったいどこに消えてるの。

 

というより、現状これだけ資金が流入している医療ですら景気回復に貢献しておらずむしろ財政状況を悪化させているということは、医療以外の公共事業的なものを盛り立ててもおなじなんじゃないの?

 

 

なんか、私の感覚的な話なんだけど、医療福祉にかかってる110兆円のほとんどが建物などの箱物と機材に消えてるんじゃないかと。

病院でも人件費ゴリゴリ削ってその代わり機械を入れたり高い薬剤がんがんつかったりしてるもの。そりゃ病院としては雇ってるだけで年間数百万から数千万かかる人間をリストラして黙って働いてくれる機械を入れれば丸儲けだものね。薬に至っては処方すればするほど儲かるものね。スタッフが事故を起こせば病院の責任問題だけど、薬害があっても製薬会社の責任だから病院はノーリスク。しかも患者は1割or3割負担だから高い薬でもほいほい使ってくれる。本来受けれるはずだった手厚い人的サービスを拒否し無駄に高い薬をありがたーく押し頂いてざくざく税金使ってくれる金ヅル患者。そりゃ患者『様』だわ。

 

ナースやドクターより、ありがたーい新薬のほうが効くような気がするかもしれないけど、そういう医療信仰が薬漬け医療を作ったんだから自業自得だね。ぶっちゃけ薬なんてそんなたいして効かないよ。自己治癒力をさも薬のおかげのように言ってるだけ。

 

私は別に近藤某みたいに標準治療は全部悪だとか言いたいわけではなくて、医療は特定の分野ではけっこうイケてるというのは知ってる。だけど医療は魔法じゃないのも知ってる。

 

「薬なんてたいして効かない、でも効くときはそこそこ効く」という冷静な感覚はなかなか一般人には理解されなくて今日も医療を信仰して薬漬けになる人が量産されている。

別に何を信仰しようがかまわないんだけど自費でやってほしい。迷惑。

 

 

 

 

 

キモくてカネのないオッサンは救済すべきでない

 最近のはてなで流行しているキモくて金のないオッサン問題について、なにやら様々な問題が(おそらく意図的に)混同されてて気持ち悪い。

 

まず、キモくてカネの無いオッサンが福祉を受けられないというならそれは問題なので解決したほうがいい。貧困層生活保護受給割合が女性のほうが優位に多いとか、病院に行ったら治療拒否されるとか、なんかそういうデータがあるならちゃんと主張したほうがいい。はいFA。あとはデモとかがんばってください。

ここまでの問題は、例えるなら黒人と白人の貧困者がいて、白人のみ救済されるのであれば差別だよね、黒人だって救済されるべきだよね、というタイプのものになる。

 

 

でも、キモくてカネの無いおっさんは生活保護を受けても就労支援を受けても満足しないんでしょ?というところがこの問題を炎上させている点。

結局、オッサンはオンナをモノにしないと満足できないんでしょ?

キモくてカネの無いオッサンに尽くしてくれるオンナが欲しいんでしょ?

という。

いやそんなクソみたいな幼児性むき出しのオッサンばっかじゃないと思うけど、女性の再配分なんて言い出す一部のオッサンは「キモくてカネもなくてもオンナさえいれば満たされる」という馬鹿みたいな妄想に縋っていて、そんなオッサンの妄想の餌食になる女性が後をたたない。私もさんざん犠牲になったんで、オッサンの馬鹿さかげんはわりとよく知ってる。

 

他者の人間性を踏みにじることでしか満たされない承認欲求を持つ人はいつまでたっても救われない。

 

これはさっきの黒人と白人の貧困問題とは全然違う問題だ。

例えるなら、人の肉を食べなければ承認欲求を満たされない人がいたとしたら、そいつが幸せになるためには誰かが殺されなければいけない。殺人は罪だから、そいつはいつまでたっても幸せになれないしそもそもそいつの幸せは人を食べることではなくて人を食べる以外のことで欲求を満たす方法を模索することだ、みたいな問題。

オッサンが幸せになるために女性の人権を無視する必要があるなら、オッサンはいつまでたっても幸せになれない。福祉がどんなにがんばっても、経済がどんなに回復しても、オッサンはいつまでも都合のよいオンナを求め続けて彷徨う。

 

 

 

福祉はキモくてカネのないオッサンに経済的支援や友人と出会う場を提供する。でも、オレのオンナ、都合よくオレを受け入れてくれる優しいオンナ、みたいな偶像は提供してくれない。そもそもそんなオンナはこの世に存在しない。存在しないものを追い求めるオッサンはいつまでたっても救われない。

そんなオッサンに提供すべきものはオンナの代替品ではなく、オンナに依存する脆弱なメンタリティを補強する新たなナラティブだ。

 

てことで、ツタヤのエロ本コーナーをカフェ化するというのはどうでしょう。

キモくてカネのないオッサンがなぜオンナとエロに固執するかというと、結局オンナとエロにしか居場所が無いからなんだと思う。だったらオンナとエロ以外の娯楽を提供すればいい。 

イスとテーブルを置いて自販機を置いてついでに囲碁や将棋、シャンプーや化粧品などの身だしなみ用品のサンプルとかファッション誌とかを置いて、キモくてカネの無いオッサンがちょっとひといきつける場所にする。そして自然にオッサン同士の交流が生じるようにしたり、エロ以外の娯楽に目を向けられるようにする。

 

経済効果もあって一石二鳥。

 

 

あと、ひとつ突っ込み。

解決策のない問題というのは、そもそも問題でないか、あるいは少なくとも問題として考える意義に乏しいことになろう。

えー…なに言ってんのこの人。

問題と言うのは容易に解決策が見つからないから問題でありつづけるわけで。

解決策の無い問題は問題として考える意義に乏しいというのなら、環境問題も核問題も北方領土も政治も経済もぜーんぶ問題じゃないね。よかったね。

miurayoshitaka.hatenablog.com

↑こちらの記事が、オッサンの福祉問題と、オッサンの脆弱な承認欲求の話と、エマワトソンの言っている男性全体、女性全体の構造の問題と、なにもかもごちゃごちゃにしていて、この人弁護士として大丈夫なのかな、実名の仕事ブログでこんないいかげんなことを書いているのは仕事に差し支えないのだろうかと、老婆心ながら心配である。

 

 

 

 

 

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hedgehogx.hatenablog.com

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

病識が無いという状態についてしみじみと客観視してみる

『私は病識がない』て、わりとパワーワードな気がする。すごい矛盾。騙し絵みてる時みたいにくらくらしてくる。なんだけど、『自分に病識がないことを自分自身が認識している』ということはわりとよくある。

 

昔、流血グロサイコという設定盛りすぎなB級映画のような状況にうっかり直面してしまってしばらく寝込んでちょっとだけ精神科に入院してたんだけど、入院してる当時は自分がなんで入院に至るほど病んだのか自覚できてなくて、今私は病識が無いという状態を現在進行形で体験してる!なんかすげぇ!て思った。

 

時系列にまとめると

 

流血サイコ事件目撃→クレイジーな犯人に襲われる→真夜中逃避行→電車で家に帰る→倒れる→救急搬送→入院

て感じ。こんなんで救急車呼んじゃってほんとすみません。

 

たしかあのとき、ふっと気づいたら同居人と子供と三人で電車に乗ってて「あれ、なんで私ここにいるんだろう?」てなった。一緒にいた同居人と子供も同じで、三人で「なんでだろうね?ここどこだろうね?」て話してなぜだかおかしくて笑ってしまった。

「よくわからないがとにかく家に帰らなければ」と思ったけど遠方だったのでとりあえずビジネスホテルに一泊。そこで同居人と「なんで私達はここにいるんだっけ?」と話し合った。用事があって山奥の田舎に行って、そこで人に会った、までは思い出せる。そして私が人外じみた悲鳴をあげながら子供を抱えて舗装されていなくて電灯もない獣道を裸足で逃げてきたことも覚えてる。でもなんで今ビジネスホテルにいるのか思い出せない。なんなんだ三人一緒にパラレルワールドに来ちゃったのか、みたいな気持ち。

その後夕食でも食べようかということでホテルの外に出て、三人とも特定の声に超反応するということに気づく。小柄なオバサンの怒鳴り声を聞くと子供に至っては泣き出すし私は子供を離せなくなるし同居人はすごく気がたってるみたいだった。でも理由は思い出せず「なにこれ?」て不可解な気持ちになる。

 

いやもうこの時点でめちゃくちゃおかしいんだけどね。その時は違和感を感じながらも何がおかしいのか分からなかった。

 

当時の状況をまとめると

  1. なぜホテルにいるか分からない
  2. 人外じみた悲鳴をあげながら獣道を爆走、という事態に疑問を感じていない
  3. 怒鳴り声に超反応する理由が分からない、また超反応することに疑問を感じていない

見当識障害なのも問題だけど、その異常さに気づいていないことが一番狂気を感じるね!大の大人が二人もそろって何やってんだか。

 

 

でも、いざそんな状況になってみるとほんとどう反応していいかわかんないよ。

いろいろあった後友人にこの話をしたら「いやホテルの時点で警察行けよ」て突っ込まれたんだけど、仮に警察に行ったとして「獣道を爆走してきました。怒鳴り声が恐いです」としか言えないわけで、そんなんお薬飲んで寝ましょうねって言われるだけじゃない。警察の人苦笑いじゃない。

 

なので、「どうやら私達はおかしくなったらしい」ということだけは分かったので「家に帰って精神科に行こう」という結論になった。まぁ、あの時点ではそう思うしかなかった。

このときは不可解な状況を三人で共有していて、さらに大人二人はそれなりに狂気に親しんでいるという状況だったので狂ってるなりにわりと冷静だったけど、慣れてない人だったらパニックになってると思う。

プライドの高い健常者様は自分が発狂した、なんてなかなか認められないじゃん。だからたぶん「地球は宇宙人に乗っ取られて今オレのいる世界はすべて偽者なんだ」とか言い出すと思う。だってそういう理屈をつけないと説明できないほど不可解なんだもの。

 

 

その後家についてから怒涛のフラッシュバックがあって事件の真相がやっと分かって、うわこれどーするよ殺人事件じゃん、てなって、そしたら私が過労で倒れちゃって正常な判断ができないくらい疲れてた家族に救急車呼ばれるという各方面に迷惑かけまくる顛末となったわけだけど、フラッシュバックってほんとすごいフラッシュするのちょっと感動した。人間の脳みそすごい。そのあたりもおいおい書いていきたいです。