雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

実家のメシがマズいという話

ある一定の世代はまずいご飯に関するトラウマみたいなのを抱えている人が多いような気がする。とにかく母親のメシが不味い。どういうわけだか今60から70くらいの母親のメシはなぜかものすごく不味い。ぐっちゃぐっちゃの煮物に添加物こんもりの佃煮に極めつけは水あめにつけた昆布なんかが出てきたりする生家の食卓に嫌気が差して過食に走ったり拒食になったりしてる人を何人も知ってる。

あの世代の母親は食事を残すことにも厳しくて、無理矢理口に突っ込まれたりしてえづきながら咀嚼するとかもよくある。そして子供に対してそんな強権を発動できてしまう母親を乗り越えるのは得てして大変苦労する。

食事で子供を支配しようとする母親はたいていの場合食事以外の全て、思想も感情も人生そのものも全て支配しようとする。

 

そんでまぁ私も例に漏れずクソ不味いメシを詰め込まれていて、その上わりと特殊設定があったりしたものだから食事に関しては相当ねじれている。

人生の初めの10年を他人の思惑に従うことだけに塗りつぶされたことを、私は幸運だったとも思わないが特筆するほど不幸だとも思っていない。

 

生家から逃げ出した後にグルメなオッサンに拾われていたことがあって、食事というのはえづかなくても咀嚼できるのだということをその時はじめて知った。味噌汁が水から出来ていることも、フルーツはカットされた状態で生えてはいないことも、袋菓子は袋に入った状態で売られていることも、水揚げされた港によって魚の味が違うことも、料亭で食べるアクセサリーのような食べ物の作り方も、そのときに知った。

私は毎日台所に立ち料理をするようになった。私が作る私のためだけの料理を私だけが食べるというのは自我を寿ぐ行為だったのだと思う。