うまく声を上げられないとどんなに困っていても助けてもらえない、困っているから助けてもらえるのではなくうまく同情を引けるから助けてもらえるのだ問題について。
私自身は可哀想アピールだけでここまで来た可哀想強者だからこそ可哀想弱者の気持ちは全然分からずマリーアントワネット的な逆撫でをやっていると思うのでできればこの問題を理解したい。
それで、男性のつらさ問題でもこれはかなりあって、結局私は男性がなにがつらくてどうしてほしいと言っているのかいまだに分からない。というか男性が「俺だってつらいんだ論」を繰り返すたびに男性のことが嫌いになる。もうちょっと言い方工夫すればいいのに。と思うのだけど言い方を工夫する能力がないから救済されないのであって能力が無い人に対して能力を要求する以外の方法はないものかと最近考えている。
そして今回、俺だってつらいんだからお前を殴る権利があるのだみたいな主張をしてしまう人は軽度の統合失調症になってるという仮説をたててみた。
こういうのも。
統合失調症は一部の重度の人を除いて結局、本人のストレス処理能力を大きく超えたストレスがかかってキャパオーバーしてる状態なのだと私は解釈しています。一見意味の分からない妄想に見えても本質的な原因はブラックセクハラパワハラであったり嫁姑問題であったり毒親であったり、本人の手に余るどうしようもない問題を転化しているにすぎない。
ストレス処理機構のエラーというかバグというかなんかそういうのが発現しているとして、じゃあそうなっている人に対してバグを自己修復しろと迫ることは果たして解決なのだろうか。統合失調症や認知症の人への対処法から学べるものがあるのでは。
というわけでちょっと考えてみたい。だが私みたいな言語能力ゴリラにはこういう悩みは理解しにくいのでまず彼らにとっていったい何が問題となっているのかから考えたい。
あと私みたいな可哀想アピールだけで人生わたってきた実績やノウハウを書籍化とかしたら売れそう。売りたい。不労所得ほしい。
自分はそういう男性社会から降りて障害者になった。
男性の役割から降りると年収100万になってしまう。
よくわからない文章だけどおそらく増田は「フルタイムの仕事が続けられなくて鬱病かなにか発症して今は負担の少ない仕事をしてて年収100万くらい。」ということを言いたいのであろう。
とにかく競争から降りるに限る。ただ、そこに救いがないということは言っておきたい。
そしてフルタイムでバリバリ働くのもつらいが、年収100万のゆとりのある生活もそれはそれで別種のつらさがあるのだという話なのだろうこれは。そこまではなんとなくわかる気がする。
でもそこから先、この増田がいったいなにがつらいのかの具体例が無い。
わからねぇよこの増田が何をしてほしいのか全く分からない。なんか大変なんだと言う空気感しか伝わってこない。
増田はどうなれば満足なの?
というのをこの増田に聞くのはきっと酷なことなのだろう。なので勝手に想像してみることにする。
仮に増田が年収100万であることが嫌なのだとして、年収100万だと増田は何が困るのか。増田が訴えているのはマウンティングとか役割とかいう気持ちの部分なので、家賃が払えないとか美味しい物が食べれないとかそういう物質的なものではなさそうだ。ということは年収100万でも身体的にはわりと困らず暮して行けているけど精神的な部分で満たされないということでいいのかな。いいということで勝手に話を進めます。
私が障害者になってしまったせいで妹の結婚もだいぶ遅れてしまった。幸い、(中略)妹は私の存在を友達にも話せないと泣いていた。
増田が障害者だから外聞が悪くて増田妹が結婚できないらしい。が、それは妹のつきあうやつのレベルが低すぎる問題では。増田妹の周りには昭和マッチョしかいないのか。親族に障害者がいるとかいまさらすぎてそんなんマイナスポイントにしてたら誰ともつきあえなくないか。だいたい妹と妹の配偶者が婚姻関係を結ぶのであって増田関係なくないか。
いやでも妹の結婚問題は結構示唆的かもしれない。
増田や増田妹のいる場所では親族に障害者がいると結婚できない。そして増田はその場所で生きていきたいと思っている。なのに障害者だと肩身が狭い。増田は増田のいる場所を愛しているけれど増田のいる場所に増田の居場所が無い。これはそういう問題なのでは。
私は私を愛さない人なんてさっさと捨てるけれど、それができなくて苦労する人はたくさんいる。愛している人に愛されない現象はどうすれば解決できるのだろう。心理学の本とかでも「私を愛さない人を愛してしまう」というのは共依存とかストックホルムとかそういう系統の病気として扱われ解決策は愛するのをやめることしかない、みたいな結論になってしまう。でも「私を愛さない人を愛する心理」というのは別に心の病気とか洗脳とか状態異常ではなく、一つの心理として尊重されるべきものでなんなら打算を捨てた尊い心理だと思う。私には全然分からない境地だけども、そういう愛情とどうにかうまく折り合いをつける方法はないものか。
あともしかしたら増田と増田のいる場所の相性の問題もあるかもしれない。私にとって障害者なんてありふれているけれどこれが親族に強姦魔がいるとか無差別殺人者がいるとかだったら私も公言できなかったり肩身が狭かったりする気がする。増田のいる場所では障害者というのが重いスティグマなのかもしれない。
でもこれも結局「自分が愛した場所に自分の居場所がない」に帰結するのか。なんだろうアレルギーみたいな。ネコ大好きなのにネコアレルギーみたいな感じ。
こういう「好きなのに受け入れてもらえないみたいなつらさ」に対して日本の福祉は無頓着すぎるというのは思う。
もしかしてこれそういう問題か。生活保護受ける前に親に頼れみたいな、相互扶助を強要して血縁から逃れられなくする戸籍システムの問題。
増田は競争から降りたと言うけれど増田の周りは競争から降りていなくて、周りは相変わらず競争している中で増田だけが脱落したような恰好になっているから大変なのでは。だとしたら競争していないコミュニティに行ってみると問題の一部は解決するのかもしれない。別にそのコミュニティに一生属せとか今いるコミュニティを捨てろとかではなく、一度自分を受け入れてくれるコミュニティに属す経験をしておくと、自分を愛さないコミュニティを愛し続けるのもだいぶ楽になると思う。
つまりこれは競争から降りて楽しく暮らしている男性コミュニティがない問題なのか。
なのか…?
>説明する能力がない人に説明しろとせまるよりは、腐女子のつづ井さんが裸一貫つづ井さんになったのの男性バージョンを模索するほうが建設的な気がする。男性はミソジニーホモフォビアだから共闘できないとか言うけど昔は女同士の友情存在しないとか分断されていたわけで、そんなゴミ言論に真っ向勝負するより勝手に楽しくやっているほうがまだ勝ち目がありそう。
以上、マリーアントワネットによるウエメセ弱者分析でした。とくに建設的な話はなく終わる。