雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

リベラルは今後どうあるべきか

リベラル様が大衆は愚かとか本気で言い出してて、匿名ならともかく人気商売で顕名でそれを言ってしまう精神どうなってんのと。

そりゃ肉屋を支持する豚は愚かと判断せざるをえないわけなんだけど、その判断はあくまで私の視点から見た場合の判断であって、豚には豚なりの視点があって豚の視点からすれば肉屋を支持することが正しいわけで、私の判断と豚の判断のどちらがより正しいかは神様にしか判定できない。
同様に、ワクチンが危険だとか自民党が経済再生してくれるとか電磁波だとか宇宙人が攻めてくるとかも、私からすると愚かとしか言いようがないけど本人にとっては事実なわけで。
そこで必要なのは頭のおかしい反ワク論者にワクチンの有効性を理解させること、ではなくて、相容れない思想を持つ者同士がどう共存していくか、でしかない。
いつだって問題は人と人との間にあって、各人の信じるものに正義も悪もない。

てのがリベラルの出発点だと思ってたんだけどもしかして違った?
現時点での自称リベラルというのは「俺様が正しいと思う絶対正義以外燃やし尽くせ」なの??馬鹿なの死ぬの?人類この話題何周すれば学習すんのサピエンスどこいった???


あまりにクソすぎてどうすればいいのかわからないんだけど、もしかしたらこれ精神医療とかのノウハウが使えるフェイズな気がする。
最近の精神医療では、問題は人と人との間にある、がなんだかんだで浸透してきてて、患者の問題を解決するというよりクライアントとその家族の関係を調整するという視点で介入してくるようになっててなんかすごい。
何がすごいってこの方法だと個人の信念を変える必要が無い。「お前の考えが間違ってるから問題が起こる、お前は考えを改めるべき」というリベラル仕草をやらなくても問題が解決する。

私は私の親族が大嫌い、に対して、昔なら「親族を好きになれるセラピーをしましょう」となってたけど今は「では親族と接触しない方法を考えましょう」になる。
私は医者もカウンセラーもケアマネも信頼できない、に対して昔なら「可哀想にもう大丈夫よ信頼して!」だったのが「無理に信頼しなくていいです、利用できるとこだけ使ってもらえれば。」になる。
ワクチンは毒だ操られているんだワクチンを打つ人は騙されているから止めなければ、に対して「なるほど、ところであなたがそう主張することであなたの大切な人の心があなたから離れていってしまわないようにうまい伝え方を一緒にかんがえませんか」になる。

主義主張の裏には改善したい困り事があって、介入すべきは困り事のほう。

だけど追い詰められた人は自分の内側の信念を必死でまくしたてて、真に解決すべき困り事を語らない、または自覚すらしていない、あるいは自覚することを恐れている。だから医療者は人と人との間にある困り事を掘り起こす必要がある。
てことで真にリベラルを目指すならやるべきは愚かな大衆が俺様と同じ考えになるまで説教することではなく、わけわかんない信念をまくしたててる人達が真に得たいものをそっと掘り起こし尊重してみせることだと思う。