雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

自己決定権という幻想と、エネルギーヴァンパイアな人達の精神構造

なんか一緒にいてものすごく疲れるタイプの人というのがいる。別に意地悪してくるわけでもないモラハラかましてくるわけでもないけど気づいたらぐったりしてしまう。そういうのは自分でも相手のどこが悪いのかよく分からないまま相談すらできず気づいたら人生を腐らせていくのでがんばって言語化ひてゆくとよいと思う。

1番わかりやすいタイプとしては、やたら否定してくる奴とか。
「こないだピザ食べて……」
「ピザは体に悪いよ」
みたいな。
「今すごく大変で……」
「ちゃんと寝てる?ご飯もちゃんと作らなきゃ駄目だよ簡単なレシピ送ってあげるね」
みたいな。
あとやたら感想言ってくるやつ。その服個性的だね、そのバッグ小さいね、いつも運動靴だね革靴とか履かないの?髪の毛短いね女なのに。

やつらはとにかく「どう見えるか」をフィードバックしようとしてくる。たぶんやつらの興味関心は「他人からどう見えるか」に全振りされてて、それ以外の価値観があることすら気づいていない。たぶんやつらの選択基準も「他人からどう見えるか」しかなくて、例えば今日着ていく服を選ぶ時、やつらは母親として中年女性としての自分に相応しいもの、でしか服を選べない。

私べつに俳優じゃないし撮影中でもないんで他人にどう見えるかとか心底どうでもいいんだわ。着たい服きてやりたいことするし、私の行動にいちいち理由とかない。やりたいからやるだけ。
でも私はやつらからすればTPOを弁えない人に見えて「まぁなんてかわいそう私が服を選んであげるわ」になる。そんで出てくる服がきついハイヒールとパンツが見えそうなタイトスカートと見かけだけ涼しげだけどほぼビニールだからくっそ暑いシャツ。しかもそれ毎日洗濯しろとか言ってくる。お前がやれよなんでお前の自己満足に私がこんなに尽くしてやらないといけないの
でもかれらにとってハイヒールタイトスカートは大人としての常識だから、自己満足を押し付けていることを理解しない。分かり合える気がしない。同じ人類かどうかも怪しい。



で、彼らの頭の中がどうなっているか、を考えるにあたって、これは自我という幻想の話なのではとずっと思ってる。

彼らは中世を内包せずに近代的価値観をガワだけ内面化してしまっていると考えるとわかりやすい。

彼らは自己決定権を素朴に信じている。
「やる」と「やるべき」を完全に混同していて、彼らの中では「行動したこと」は全て「やるべき事」となっていて、ここに様々な歪みが生じている。


例えば朝起きれない仕事に行くのがしんどい、みたいなのを彼らは処理できない。

仕事に行くべき、は社会の要請であったり自分の価値観において正しい行動。彼らは「やる」と「やるべき」がイコールだと思っている。だから仕事に行くべきなら仕事に行くしか選択肢がない。

仕事に行きたくない、は自分のホルモンであったり寝不足であったり疲れであったりそういう、自分の中に起こっているけど自分ではどうしようもないもの、で、人間てのはそういう「どうしようもないもの」で動かされている。だから仕事に行きたくないのはしょうがない。だって私の体がそうなってるんだから。仕事に行きたくない気分を否定するのは雨の日に空に文句言うようなもん。

で、さらに、本来「やるべき」てのは「どうしようもなさ」から発生する。
私はこのご時世に後ろ盾なしに子を産み育てると決めて案の定めちゃくちゃ大変で何度も投げ出しかけてなんなら今からでも子を捨てたいくらい大変だけど、でも少なくとも妊娠が発覚したあの瞬間、私は私の子を産み育てたいと思った。世間体とか責任とかそういう「べき」とは一切無関係なところで、社会や他人と切り離された私という身体が「したい」と願った。「やるべき」は「やるかやらないか」を選んでいる。でも「したい」は「やる」の道しかない。やるのは確定事項あとはどうやるかに全振りするしかない。

つまり何が言いたいかというとまず、
「やるべき」でやるのしんどい。だってぶっちゃけやりたくないもん。そして「したい」でやるのわりとラク。いや全然楽ではないが、進む方向が決まってるからシンプルだしもし失敗しても納得できる。

で、やつら、一緒にいてものすごく疲れるタイプの人、というのは、「やるべき」なのに「したい」並の結果を求めてくるからしんどくなる。
服装とか髪型とか挨拶とか、心底どうでもいいやりたくないところに「やるべき」を持ち込んで、「したい」と同じクオリティの服装や髪型や挨拶を求めてくる。だけど私の「やるべき」は服装じゃないんだわ。

そしてやつらは「どうしようもなさ」を理解しない。
仕事に行きたくなくて、に対して「あーしょうがないね今そうなっちゃってるんだもんね」と言えない。だって「やるべき」しか存在しないから。「仕事に行くべき」あるいは「仕事を休むべき」の2択しかない。
だから仕事に行かなくてはならない理由をつらつら並べるか(大人なんだからサボっちゃいけない、同僚に迷惑をかけてはいけない、子供のためにも稼がないと)、あるいは仕事を休むべき理由を並べるか(それって鬱病じゃない?自律神経失調症じゃない?)、のどちらかしかできない。ここが彼らと会話するときにやたら消耗する理由っぽい。だってそんなんなんも解決してないじゃん。むしろ最初から話さないのが1番解決に近づく。


たぶんこれ現代哲学で、いわゆるポストモダニズムていうか、自己決定権を至上のものとするアメリカン個人主義あるいは氷河期自己責任主義みたいなのの揺り返しなんだと思う。たぶん精神科でいうところのオープンダイアログとかそういうのやってくと解決していくやつでは。