雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

異性に欲望を抱いた時のことを思い出してみる

前回、「性欲」と呼ばれているものの出発点単なる憧れや嫉妬で、同性に対するそれは普通に憧れや嫉妬として表出されるが異性に対するそれは抑圧され拗れまくって「性欲」として表出される。だから性欲は気持ち悪く不快で暴力的なものとなる。

という仮説をたててみた。

そうなるとキモい「性欲」の成立条件として、異性を自分とは違う性であり聖である存在、都合のいい願望を好き勝手に投影できるロールシャッハ、と捉える精神性がある。逆に考えると、これを解体すれば「性欲」から自由になれるのでは。そうすれば女を配分しろとか言ってくる弱者男性もジャニオタの女性も幸せになれるのでは。

 

 

というのをより考えていく前に、私個人の「性欲」について思い出したことがあるので書いておく。

 

以外、若干キモいです。

 

何度かここでも書いたのですが、昔水商売らしきことをしていた時バイトのあんちゃんに惚れてしまいそうになったことがあります。薄暗い狭い部屋でテカテカでペラペラの服で靴擦れと二日酔いで自分の体が日々壊れていくのを感じながら愛想笑いしてたとき、スニーカーにジーンズでビールケースを軽々運ぶ外の匂いを纏った彼に何かしら強烈な何かを感じた。

あの場所ではそれは「恋」というものであり彼に抱かれたいという「性欲」であると解釈され、私は彼に惚れたのだと言われた。あの頃私は相当おかしかったので、なるほどこれが子宮が疼くというやつなのかと自分でもそう納得しかけた。人間の感覚というのはいい加減なもので、そう思ってみると確かに彼のことを考えると腹の奥がきゅうと縮まるような気さえした

 

まぁそんなの仕事を辞めて昼間外に出てジムに通って筋力をつけたらあっさり霧散したわけですが。

 

 

あれは憧れであり嫉妬であり、私がなりたい姿を彼に投影しただけで、もしあのまま彼に恋していたら私はずっと彼の筋力を羨みながらビールケースを持ち上げられないくらいの不摂生を続けていたわけで誰も幸せにならない。

 

「性欲」は誰も幸せにしない。そして性欲の根底に「男は女になってはならない、女は男になってはならない」というジェンダー規範があるのだから、つまりジェンダー規範は誰も幸せにしない。

 

ということは女に執着する弱者男性は女になるべきだし、ジャニオタは自分がアイドルになるべき。それができないくせに美味しい所だけを所有しようとするから「性欲」なんかに振り回される。

いや逆に、なんでやつらは女やアイドルにならないんだ…?性欲をぶちまけるくらい執着しているはずなのに自分はなりたくない??

なにかその辺にキモがありそうな気がする。