雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

空気を読んで上手く世渡りするというのはつまりどういう事なのか

長い人生、「私は頭がおかしくなんかないから退院したい」のような類の主張をしなければならない事がある。

「今の仕事を辞めて休養したい」

「結婚したい/離婚したい」

夫婦別姓にしたい」

など。

これらはどんなに正当で合理的でも相手にとっては「私はおかしくない退院したい」に聞こえている。こういう時に状況が理解できるか、上手く立ち回れるかどうかが人生の難易度をだいぶ左右すると思う。というか私の場合こういう時の交渉力だけで人生を渡ってきたと言っても過言ではない。これさえできれば人生はわりとチョロい。

 

無理めな主張を穏便に通すためにはまず最低限、誤信念課題をクリアする必要がある。「私はおかしくない退院したい」は私にとっては真実だが相手にとっては悪、疑いようもない絶対悪に見えている。

 

そして大抵の場合、相手は現在を見ていない。見えていない。

 

相手が見ているのは過去の出来事であり私と会話しているようにみせかけて過去の誰かと会話している。

夫婦別姓なんてみっともないもはや親でも子でもないと平然と言い放つ目の前の老害は父として母として慈しみ育てた我が子に向かって話しているのではなく、過去にガン詰めパワハラしてきた口うるさい親戚の亡霊と会話している。

不登校なんて怠け者のやること絶対許さないというのも、レールから降りた人達に冷淡な言葉を吐きかける偽善者の亡霊と会話している。

彼らは息子を死んだ夫と見間違えるボケ老人と変わりない。

そんな人間として壊れてしまった相手を馬鹿正直に説得するのは誠実ではなく怠慢にすぎない。

 

 

ルフレジでもたつく老人にもう時代が違うのださっさと適応しろと迫っても、何も解決しないだけでなくさらにめんどくさいことになるだけというのはわかりきっている。なのでコンビニの店員は老人に寄り添う。大丈夫ですよ分かりにくいですよねこれ皆さん戸惑うんですよすみません、とか、相手の世界を否定せずヨシヨシを何回も何十回も積み重ねる。

 

自分の枠外のことは自分では認識できない。

ルフレジでキレる老人を嘲笑うことはできても、自分にとってのセルフレジを自覚することは難しい。だけどどんな完璧な人格者でも人間性である以上は枠外のことを受け入れ事はできない。私だって「学校辞めてアイドルになって養成校に100万円払って裸みたいな水着でグラビア撮る」とか言われたら頭ごなしに大反対する。にんげんなんてそんなもん。

 

 

 

なのであたおか老人にはやさしく、老人笑うな行く道だ

とかではなく。

純粋に能率を考えたときに、正論を貫くのはコスパが悪い。

 

 

私は「私はおかしくない退院したい」をガチで何回かやったのですが、これどうやったって「hedgehogxはあたおか」という認識は覆りません。

 

そりゃあね、三軒向こうまで聞こえるような金切り声で怒鳴り散らして裸足で家を飛び出して真夜中の山を駆け回ったからね。立派なあたおかだね!

ただ、それをやらなかったら今頃私は殺されてるか殺人犯にされてるかだったので。身を守るためには仕方がなかったあれは正当防衛おかしいのは私じゃなくてあいつらあいつらはどこまでも私を追いかけてきて監視して今でも私を連れ戻そうと私を閉じ込めて私はおかしくないのにおかしいのはあいつらなのに

 

とか、言えば言うほどやべーやつにしかみえねぇぇ!!

 

私が精神科医でもあたおか認定するわこんなん。ごめん当時の当直ドクターとナースと看護さん。あと警察の人救急救命士の人もこんなんのために貴重なリソース割かせてすまん。連休の真夜中にほんとごめん。せめて平日の昼間にしとけばよかったけど昼間だと山で追いつかれそうでな。

 

 

 

 

 

私があたおかじゃないと彼らが認めることはおそらく未来永劫ない。でもそれは私があたおかであるということではない。

先祖伝来の土地と因習にがんじがらめになった彼らはあの土地から逃げ出せない。あの共同体にしがみついて生きていくためには、私の主張の正しさを拒絶するしかない。彼らが見ているのは大切に育てた愛しい娘ではなく、今日の糧であり明日寝る場所であり村に一件しかない商店で買い物できるかどうか水田に水を分けてもらえるか畑に嫌がらせさせないかといった自分たちの生存。

愛して受け入れて優しくして居場所をちょうだいという私のあまっちょろいエゴを押し付けるのは、彼らにとっては生命の危機でしかない。もう私は彼らに庇護される幼い子供ではなく彼らの生活を脅かす怪物になってしまった。

 

 

はーーめんど。

でもまぁ人生大体こんなもん。自分にとって正しいことは相手にとっては認めることのできないことというのはよくある。そしてそれは相手のメンツであったり立場であったりといった私とは全然関係ないところで決まるのでどうしようも無い。私がどんなに正しくても相手にとっては正しさなんか関係ない。解決するには相手に5000兆円配るくらいしかない。無理。

 

で、そういうときに自分の正しさだけを主張して相手が受け入れるのを期待するというのは相手に解決のコストを丸投げしている状態で、つまり解決するかどうかは相手の胸先三寸となりこちらの決定権がなくなってしまう悪手。まぁ私のように完全に縁を切るときならいいけどこれからも関係を続けて行きたいなら手綱はこちらが握っておきたい。

ではどうするかというと、コンビニの店員さんがごとく相手に寄り添う。

とにかく、相手を頑なにさせない。正論パンチで心を閉ざしてしまったらこちらには打つ手がなくなってしまう。

いきなり金切り声で喚くのではなく、相手の不安に寄り添う。娘が都会に出るというのが村社会の中でどれだけ不名誉なことなのかそれでどれだけ傷つけられるかという話をきちんと聞く。私への人格攻撃にも動じない。混乱した老人は私と話しているのではなく自身のトラウマと会話しているだけ。

そしてむしろこちらが歩み寄る。夫婦別姓にしたいなら「妻が別姓にしたいと言っていて、妻のことも尊重したいが俺としては正直割り切れない」などというテイで話を進めていってみる。同じ不安を共有していますよ我々は仲間ですよという擬態をしつつ相手の思考に伴走する。嘘でもなんでもいいのでとにかく心のシャッターを閉じさせない。

 

 

めんどくせーーーー!!!

 

これはわりとリソースが削られるのでやる相手は厳選したほうがいい。こんな面倒なことやってられっかと思えばさくっと見捨てる。でも自分にとって利になる場面だけにでもこれをやれるとだいぶ人生がイージーになるので覚えておいて損は無い。

めんどくせぇぇぇぇぇぇぇ!!!