雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

金は欲しいが汚れ仕事はしたくないでござる

まぁ、私にお金をくれたくてうずうずしてる人は何人かいるんだけどな。。

そういうんじゃなくて私は私の仕事で金を稼ぎたいの!いいねすごいねさすがだねって言われたことに対して数字を出したい。あと自分で稼いだ金で焼肉が食いたい。札束で他人の頬をひっぱたいたり足元に万札ばらまいて拾わせたりしたい。はぁぁいいわぁ成金プレイ。

じゃなくて。

かわいいねいいこだね存在が神だね生きててくれてありがとうと猫みたいに愛でられて貢がれるんじゃなくて、これまで私の技術や才能にSUGEEEEした人にそうだよお前の判断は間違ってなかったお前が信じた俺を信じろほら札束が欲しいだろう拾え!がしたい。つまり年商をあと三桁くらい増やしたい。

 

でもそうなるとターゲットが広くなって私の大嫌いな人達を相手にしなくてはいけなくてどうしようかと思っている。少人数から狭く深く貢がせるのだと結局貢がれてるだけだからマスで展開していきたい。普通に生活に浸透するレベルで普及させたい。

そうなるとなー、ぶっちゃけ自民党に二重底の菓子折りを送るのが一番近道なのよな。それは私のやりたかったことなのかという。私は何をしたかったんだ。

 

なんかたぶんこのままそれなりにいろいろやっていけばそれなりにヒットするだろうしたぶん大手に拾われるだろうと思うんだけど私が目指したのはそれなのか。結局カネとコネの前に知性は服従するしかないのか。ただSUGEEEEからSUGEEEEEのだ、で完結することはできないのか。できないんだけどね知ってる。アカデミーがどれだけのカネとコネにまみれているかよく知ってる。真実や幸福や平穏がカネとコネで踏みつぶされるの嫌ってほど見てきた。だからこそ私は私の信じる真実や幸福や平穏に賛同する人達にカネとコネの庇護を与えたいと思う。

たぶんこのあたりのカネとコネに対する屈折した思いが私をカネとコネから遠ざけてるんだろうなというのは薄々思ってる。

 

 

 

あとあれな。

たぶん私努力とかするの初めてだわ。

むしろ今回なんでこんなにギャラリー少ないの?少なくとも20人くらいの信者が私の言動全てに賛同すべきだし、私が必要なものは次の日には用意されてるのが普通じゃん。むしろやろっかなとちらっと思っただけで次の日オファーがあるのがあたりまえ。

そう思うとちょっとウキウキしてきた。スキあらば私を庇護しようと虎視眈々と狙っているじいやばあやがいないところで冷遇とか鼻で笑われたりとかへこんだり疲れたりしながら自分の手で成果を出してみるのちょっと楽しそう。

 

 

 

 

 

 

やりたいことをやる難易度の高さ

たぶん私は私の認知の中では、何かに追い立てられ付ようにやらなければならないことだけをやって生きてきたのだと思う。外側から見てどれほど馬鹿げていようと狂気じみていようとふざけていようと無意味だろうと、私の中では絶対にやらなければならないと感じることだけをやってきた。たぶん。私が私の得られた情報から私の脳で判断した行動は常識からかけ離れすぎて人生ナメているようにしか見えないけれど、私の心象風景としては自分一人で荒野でサバイバルしているような気分なのだろうたぶん。
たぶん、私の中ではいつでもなにかサバンナにおけるライオンのような存在に追い立てられていて、そいつから逃げ回っている、いた、気がする。いつもライオンがそのへんをウロウロしていて、そいつらに見つからないようにいつでも逃げられるように警戒して全ての行動はあいつらに見つからないための選択だった、気がする。

どっからどうみてもあれな人だなこれは。

でもこれたぶんわりと普遍的な心理で、わりと多くの人が世間様とか親とか上司とかそういう見えない敵の視線を気にして自分の行動を決めている。ナショナリズム的な。国家のような大きな存在と自分の価値観を混同する的な。たぶんうまれてから死ぬまでずっとそうやって生きて死んでいく人は沢山いる。
たぶん普通というのはキチガイでないことではなく自分がキチガイであることに気づかないでいられることで、私の問題は自分がキチガイであることではなく、自分がキチガイであることを自覚していることで、自他の境界に潔癖すぎることだ。自己の定義には他者が不可欠なのに私は自己に他者が一片でも混在することが許せない。そうやって自己の中の他者を切り捨てていった結果が欲望の完全な欠如であり餓死に向かう無気力なのだと思う。







夏は毎年具合が悪くなるので水飲んでご飯食べて寝ます。

全てを捨てて逃げたくなったときの対処法メモ

対処法

全てを捨てて逃げる。ASAP

 

これにつきるんだよなーーーー!という。オチもひねりもない。

のっとおーるめんおんりーふぉーみーな話です。

 

なにもかも嫌になってやることなすこと全てだるくて疲れ切ってRPGでいうところの毒状態みたいな感じになったときには可及的速やかに全てをぶん投げるのが結局被害が一番少なくてすむ。誰が悪いとかどこが悪いとか何を改善すればいいとかそういうの考えれば考えるほど被害が拡大する。こじらせ一日目に遁走すれば数時間の失踪で事足りるがこじらせを一年放置してから遁走すれば数か月失踪して仕事に悪影響がでる。こじらせが数十年に及ぶと全てを忘れて旅先で新しい人生を始めてしまったりする。いやべつに新しい人生はじめたっていいんだけども。この年でもう一度それをやるのはさすがに能率悪すぎっていうか。

 

普通に考えて、全てを忘れてパスポートとカードと貴金属だけもって飛行機に乗れ、というのはマトモな相談機関では決して出されない答えで、たぶんちゃんと相談したら投薬とか入院とか生活改善とか仕事変えるとか認知の歪みをどうのこうのとかそういうことをやってけと言われてしまう。そして私はそれがきっと正しいのだと思い込んでしまう。というかどうかんがえてもそっちのほうが正しい。逃げたって何も解決しない。逃げた先でまた同じことを繰り返すだけなので原因を叩いたほうがいい。

だけど私の場合、仕事が大変とかストレスたまってるとか具合が悪いとかそういうのは、ただどこかに行ってしまいたいという欲求のいいわけにすぎなくて、外部環境をどれだけ整えても無限に不満が出てくる。どれだけ優しくされてもどれだけ手厚くケアを受けてもどれだけ贅沢してもどれだけ恵まれていても、私は遁走する。遁走が許されなければ私は私の周りの人達を憎む。彼らがどれだけ手厚く心を砕いても心を尽くせば尽くすほど私は彼らを憎む。

 

 

 

のだなーーー!

 

ていう。

 

 

 

こんな、ばあやつきで嫁入りして実家と夫に守られて年だけくった内面ロリなグロテスク世間知らずババアみたいな外見しながら、本質が風来坊なんだもんな。

だいたい、なにかしらストレスがあるなら普通に自分でどうにかするし。ストレス程度で病んだりしないし。ましてや病んで逃亡したくなるとか、ないわー。手も足も口も脳もあってそれなりに自由に動けるのに自分のストレスを叩き潰さない理由がわからん。自分が病む前に相手を排除すれば万事解決じゃん。だから私はストレスで病むというのはたぶん無い。病んでいる理由をストレスに求めてもそこに解決は無い。私が病むときは外部環境ではなく私の内部に理由がある。それも、トラウマとかACとかそういう過去の出来事ですらなく、ただひたすら「他者に影響されない私自身の本質」の部分に理由がある。

なんかもう世間一般の常識に従っても解決にならないのだということは分かってきた。そりゃそうだおまえ生い立ちから選択から能力から何から何まで世間一般からかけ離れているものむしろそれで世間一般に答を求めようとかw馬鹿じゃねーのwwwて感じなんだけども。私にとって私が一番普通なのでそのあたりすぐ忘れてしまうので書いておきました。

 

 

 

 

頭の悪い人が独自の屁理屈を展開しがちな現象について

頭の悪い人に説明するときには説明を省くのではなく説明を捏造しなければいけないという大発見をしてこれ何かに似てると思ったんだけどわかったこれ裁縫と似てるんだ。

 

私は立体を平面に展開する能力に関してはおそらく世界でもトップクラスで、少なくともこの業界の英語と日本語の研究者の中ではぶっちぎり首位独走なのだけど、私が洋服を作るときは布を買ってきて適当にハサミで切って適当に縫うと普通にそれらしいものが出来上がる。やろうと思えば狩衣でもドレスでも作れる。別にやらないけど。

だから私が裁縫のやりかたを教えるとすると、「まず脳内に人体を作って、そこに仮想の布を巻きつけて、その布を平面に展開して、あとはその展開図をフリーハンドで切り出して縫う」みたいな話になる。

でもたぶんそれは普通の人にはできないと思うんだ。

でもだからといって、じゃあしょうがないから洋裁用のCADの使い方でも覚えれば?とか、もういっそ実物大のマネキンを買ってきてそこに布を巻きつけて立体裁断すれば?とか、そういう発想でやっていってはいけない。

じゃあもう普通に型紙買ってきてその通り作れよ…それしかないじゃん……と思うけどそういうのは満足できないらしい。自分で思い通りの服を作りたい。でも脳内CADは搭載してない。実物のマネキンに布を巻きつけるのはめんどくさいからやりたくない。めんどくさいから!!文句いうなよめんどくさいくらいやれよやらないんだったら文句いうな!と思うけど、おそらくこの「めんどくさい」というのは非常に強力で、やる気とか根性とかでは乗り越えられないタイプのものらしい。鬱病にがんばれみたいな。

 

じゃあどうしろと。。。

 

というのに対する一つのアンサーが洋裁なのでは。

とりあえず洋裁をぐぐってみた。

縫い代表は1cm裏は0.7cmとか。なんだその3mmの差は。布の厚みとか硬さとか考慮しないでいいのか全ての布で3mmなのか。そこはあれだろ、「布の厚み×2×π+布の硬さによってできる隙間」だろ…布の硬さによってできる隙間を計算するならもっとすごい計算がいるだろ…

あとあれな。平面裁断。

なんでだよ1mm2mmの誤差にこだわって採寸して製図するくせに斜め部分は一律+6cmとか…おま……それでいいなら最初からだな、許容範囲をだな。だいたい伸縮率も求めずに型紙だけ正確に作ってどーすんのこれ。。。

そもそも布の名称な。なんだあの命名規則。打ち込みの硬さとか糸のよりとかそういうの書いて。いやむしろずれ応力とか弾力とか書いといて。せめて厚みを…あと密度、比重でもいいから……

 

裁縫なんて脳内の立体を平面に出力すんだよ。それだけだよ。たったそれだけのことをどうしてこんなに回りくどく莫大でめんどくさいものにしちゃうの。作り方なんて一行で済むじゃんなのになんなのこの情報力はいったい何をどうしたらこんなに増える。

 

このあたりを解明すればもうちょっとうまく説明できそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の悪い人向けの文章の書き方が分かってきた

偏差値が40くらい離れた人向けの仕事で、私が作った物を間に6人くらい(増えた)通訳が入ってリライトしてるやつの進捗。

できあがったブツは私には何を言っているかさっぱりわからない。難解すぎる。日本語で書いてあるはずなのに何度読んでも何を言っているのか分からない。これほんとうに私の書いた文章のリライトなのか。全然違うことが書いてあって全然違う結論になっている気がするんだが。それ私いらなくないか。もう通訳の人達だけで作ったほうがよっぽど早くないか。

 

それで最近分かってきたのですが、頭の悪い人向けの言葉というのは単純に情報量を少なくするだけじゃだめらしいです。彼らは理解不能なことを理解不能なまま保留にすることができない。頭が悪いというのは計算ができないとか図形が分からないとかたくさん覚えられないとかそういう量の部分だけでなく質の部分に関わってきて、頭の悪さは理解不能なことを保留にする能力に比例する。

ここがなんか不思議なところですけど。

頭が悪いということは理解不能なことが増えるということなので理解不能への耐性は高くないと生きていけないのではと私なんかは思うのですが、どうやら逆らしい。頭が悪ければ悪いほど理解不能が許せない。

それでそういう人達はどうするかというと、自分に理解できる屁理屈にしがみつく。俺が不幸なのは女が配分されないからだ。

 

なので馬鹿向けビジネスというのは、彼らの頭にちょうどいい屁理屈を提供してあげることらしいです。

 

 

 

なんか、私はもう普通に太陽の周りを地球が回っているという前提で衛星打ち上げようぜとか言っているのを、地球の周りを太陽が回っていると思い込んでる人の前提を壊さないように無理やり地球の周りを太陽が回っていることにして屁理屈をこねだしてリライトしているような感じのことが起こっているらしい。なにそれ無理じゃね。。。

 

 

いやわかるよわかる。人間の脳で理解できるようなことはほんの少しだから、どんなに頭のいい人であってもそれは人間の捏ねた屁理屈でしかなくて、私の言っていることも屁理屈の一つでしかない。でもさ自分の屁理屈を少しでもアップデートしていきたいし、どうあがいても私のIQでは理解できない屁理屈には敬意を示したいじゃない。

自分の屁理屈だけで世界の全てを解決できなければいけないとか、何様なのかと。創造神かと。そんなのがウヨウヨいるとかほんとなんなのこの世界すごいな。人類ヤバすぎるしこれで何億年も生存してるとか奇跡だな。

 

 

いやでもこれで少し分かってきた。

もうこれコロナにはお湯が効くとかそういう無害なデマをちゃんと考えなきゃいけないんだほんとに。彼らは彼らの理解できる屁理屈から一歩も出てこない。彼らは彼らの屁理屈に世界がひれ伏すことが当然の理だと信じている。その傲慢さに驚いてしまうけれど、馬鹿という生き物がそういう生体ならそこにダメ出ししてもしょうがない認めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶対正義を信じている人に平穏は訪れるのか問題

最近、『大声で主張している人は自分の持論を「絶対に正しい」と思っているからこそ主張しているのだ』と思っている人がいるのではないか?ということについて考えています。そしてそういう人にとって世の中は闘争だらけの世紀末みたいに見えてしまうのでは。そういう人と対話するにはどういう言葉を選べばいいのかを考えたい。

 

 

 

www.piyotama.site

こちらの人とか。

絶対に正しいなどという答えなんてそもそもあるのでしょうか?

(中略)

みんながみんな読み手をどうにかして説得してやろうと論理的手練を駆使して自分と違う価値観を説き伏せて改めさせようと望んでいるように僕には感じられました。

 

 

 

 

そういう前提で見ると、たとえば私のこの記事

小中学校を休校にさせるのは無意味 - 雑記帳

なんかも「休校なんて無意味!日本国民全員が休校なんて無意味だと思うべき異論は認めない!!!」というヒステリックな趣旨に見えてしまうと思います。

でも私は「現時点で全国一斉休校だけを行うことは果たして有効だろうか?」という対話をしたいのです。お互いにwinwinな方向性を探りたい。私が言いたいのは「全員が一斉休校反対になれ」ではなく「反対の人も賛成の人も納得いくようなゴールはどこだろね?」です。

だけどそれは私が今このブログで書いているような言葉ではうまく伝わらない。『読み手をどうにかして説得してやろう』という意味に思われてしまう。

 

このブログのように好き勝手に愚痴を垂れ流す場所「も」あってもいい。

けど、SNS上でこのブログのように攻撃性の高いもの「だけ」になってしまっている現状で、お互いに話し合いするための共通言語みたいなものが求められているのではないかと思います。

 

私は気軽に手斧を投げるし、相手からも投げ返されるのが当然と思っている。私が手斧を投げるときは相手からの手斧をワクテカしながら待っています。でも手斧を投げる文化圏でない人にとって私の手斧はただの通り魔でしかない。私に限らず、今のSNS上では一方的な通り魔が跋扈している世紀末みたいになっているのでは。

 

 

うーんと、これはどうすればいいのでしょうね。

 

どうすれば相手に手斧ではなく、穏便な手土産くらいの意見をお届けできるのか。

(非難している対象の人も含んだ)世の中を良くしたいという信念があって語っているのであれば、もう少し別のやり方で主張をしてもらった方が伝わる人もいると思います

まじでこれなんですよ。。

「もう少し別のやり方」ってどういうのですか。。。

言論ゴリラにも分かるように教えてもらえませんか。。。。。

 

ゴリラは悪気があってウホウホウンコを投げてくるわけじゃなくて、ウンコ投げるしか方法を知らないんです(悪気があるゴリラもたくさんいると思うけどそういうのは無視します)

 

「相手を否定して見下して馬鹿にしているやつらの『正論』なんか聞き入れるわけがない」という言葉をよく聞きます。じゃあ何をどういえば「否定してなくて見下していなくて馬鹿にしていない」になるのか。あいにく、ゴリラにはテレパシー能力はないので、手取り足取り教えてくれないと分かりません。そのあたり指南してくれる本や文章があったら教えてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくのかんがえたさいきょうの陰謀論者への対応

彼らは予測不可能なものを極端に恐れる。だから彼らはバタフライ効果を拒絶する。個々人が個別の事情でたまたま同じアクションをして勝手気ままな個別の動きがたまたま重なって全体としてみたときに大きな動きになった、というカオスの存在する可能性を絶対に認めない。

それをどういう名前の障害とするのかは大した問題でなくて、統合失調症であれ人格障害であれ知的障害であれ発達障害であれ、とにかくそういう人達がとてもたくさんいて、そういう人にとって「だれでも自由になんでもやっていいよ」というリベラルな社会は非常にストレスの高いものなのだろう。彼らがそういう生物だとしたらその生態もまた尊重されるべきものだと思う。

なので今回は、リベラルが最も不得手とするもの、不寛容への寛容とはどのような形になるのかを考えてみた。 

 

 

そんなん簡単じゃん。不寛容な人たちに「おまえらどうしてほしいの?」って聞けばいーんだよそして出てきた答えがリベラルにとってどんなに耐えがたい物でも尊重して、リベラルな人には影響の出ない形で不寛容な人のやりたいことを叶える方法を一緒に考えていこ☆

とかいうリベラル寛容仕草は彼らに通用しない。

 

どうやら彼らは自分の本心を精査することができないらしい。結局何をどうしてほしいの?お前の求めてるものほんとにそれであってる?という問いには絶対に答えない。

昔は良かった老害シロクマおじさんとか。昔は気楽に体罰できてよかったって、じゃあ私お前のことバールのようなものでぶん殴りに行くけど大歓迎してよね?おまえの言ってることを忠実に実行するとそうなるけどお前の求めてたことはそれなの?

老人の延命を無限にやるべき延命至上主義とか。おまえ重度老人ホームで仕事してそれでもまだ管につながれた老人でも幸せになれるとか言えんのその心理状態だいじょうぶ?おまえらよく「自分や家族が老人になったときに見殺しにされてもいいのか」と言うけどおまいう。自分や家族が老人になったときに無理やり延命されられてもいいのほんとに?正気????

不思議なのは彼らは答えないのよね。「じゃあお前のこと殴りに行ったら歓迎すんの?」「おまえ延命されたいの?」に対して「歓迎する」でも「歓迎しない」でもその他なんでもいい。誰か一言くらい答えてくれたっていいじゃん。なんで誰も答えないの。対話しようという気がない。ひたすら自分の言いたいことをゴリ押ししたくて世界の全てが自分に都合よくなるのが当然で反対意見を言うやつは人間じゃないゴミカス死ねと言ってるわけ?ねぇねぇそのへんどうなの。自分の意見に反対する人とどう共存する気なの??

なんてガン詰めしてしまうのがリベラルの悪い所で、不寛容にも寛容であるべきなのだ。不寛容は寛容の存在自体を許せない。不寛容が受け入れられるというのは寛容が消滅 するのと同義。

 

彼らは絶対に答えないけど老いと死からは逃げられないので 「おまえ延命されたいの?」に関してはわりと答え出ていて、あの手の人達は自分の老いや死に直面するとなんかキレるよね。なんで治らないんだ医者が悪い家族が悪い陰謀だ!みたいな。それでキレすぎて何にキレてるかわからなくなってきてそこいらじゅうにキレちらかす認知症になって薬を盛られてベットに縛り付けられて濃厚医療される。もう殺してやれよ。どうしてそんな残酷なことができるんだ。

 

 

で、彼らは私の疑問に答えてくれないから数少ない事例から想像するしかないのだけど、彼らはこの世の全てが自分の思い通りになっていないと安心できなくて、老いや死や時代の変化やなんやかんやで自分の想像を超える複雑さと直面するとキレちらかす。

だとしたら彼らに必要なのは自由や権利ではなくて制限と不自由なのでは。

 

だったら「彼らの周りだけ徹底的に不寛容な環境にする」でいいじゃんもう。どうせ彼らめちゃくちゃ視野が狭いんだから、不寛容な人を一か所に集めて高い壁で囲んであげれば壁の向こうに何があるかとか考えないよ。

 

 

 

 

 

彼らの要求は女を配分的な一見ものすごく過大な権利を主張しているように見えるけれどあれは言葉通りに受け止めてはいけなくて「俺の世界は俺の予測可能なものであるべきだ」という主張なのでは。だからあれは自由恋愛市場に強制参加させられている中で正しい自由恋愛ができないことが問題で、だったら彼らの求める返答は「お前は人間ではなくブタだから人間の行う自由恋愛に参加できないのは当然である」なのでは。

人命至上主義が求めているのは不老不死ではなく、どこまで何をしたら死を受け入れてよいのかのガイドラインが無いことであってじゃあ彼らに言うべきは「お前は人間ではなくブタだから人間のように医療を受ける権利などない、お前が受けていい医療は人間が決める人間が決めた基準を超える医療を必要としたときがお前の死ぬ時だ」なのでは。

体罰賛成老害シロクマ族が言っていることなんかまさにそれ。体罰という社会の構成員全員が共有していた(少なくとも彼らの妄想の中では全員共有していた)プロトコルが無くなってしまって、多種多様なコンテクストの中から相手に会わせて試行錯誤するしかないことへの不安なので。だったら老害に言うべきは「お前ブタだからコミュニケーションなどとる権利は無いブタは黙って強制労働しているべきである」なのでは。

 

彼らの要求を額面通り受け取る必要はなくて、彼等の本当に求めているものは強制収容所なのでは。

なんか自閉症に似てる。あと養豚場。規則と不変でがっつり固められた刑務所みたいな空間で全ての行動は規則によって決められている場所を求めているのでは。だとしたらそういう空間は人工でしか作れないので、彼らは自由意思を持った人間様が与えてくださった人工空間でしか生きられない下等生物よな。なんでそんなのの面倒を見なくてはいけないのかと思うけどそうしてあげればこちらの邪魔をしないでお互い幸せになれるのであれば、お馬鹿さん収容所を作ってあげることも必要なのかもしれない。