雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

みんな思った以上に考えてなかった

障害受容とか難しいよねわかる。いくら事前に考えてたっていざ現実に直面したら駄々捏ねたくなると思う。私は幸いにしてまだ問題に直面していないだけでなんか問題があったらめちゃくちゃ取り乱す自信ある。
とか思ってたんだけどこれなんか違うぽい。

いや普通、妊娠発覚時点で子供に各種障害があったときにどうするかどんな支援があるか病院はどこか施設はどこか窓口はどこかどれだけお金かかるかキャリアどうするか最悪の場合子を殺して私も死ぬにはどうすればいいか、くらいの所まではみんなシュミレーションするよね?一応想定はするよね?まさか「仮定の質問にはお答えできないキリッ」で押し通すとか、いや発達障害統合失調症も10%近い確率で出くわすわけですが??

なんか、普通に幼稚園行って小学校行って足し算引き算できて平仮名読めて友達と仲良くできていじめも会わないで毎日楽しく学校行って進学して大学いって就職して結婚して子供できて、1度も精神病まずに人生終えられるのが当然と思ってらっしゃる…?
自分や自分の子に障害があるとか1度も考えたことない感じ??自分だけは鋼の肉体と精神を持ってる超人だと思ってる?どんだけ自己肯定感高いの???



あなたのお子さんに障害があるかもしれません、とかいきなり言われたらそりゃ第一声は「そんなことない!」になるよねわかる。たぶん私だってそうなる。だってにんげんだもの
でもその後1晩じっくり考えたら冷静になるもんじゃん。1晩で無理でも1週間もありゃ頭も冷えるでしょ。
てのがなんか違うぽい。
「この子は障害者なんかじゃない、普通の子です!!」てのはどうやら本気というか、本人の中では事実、という位置づけらしい。


なんかたぶんこれ、メイクは女のたしなみとかそういう精神性と通じるものがある気がする。
メイクでキレイになるというのはメイクできない状況ではブスということで、そんなメイクありきのアイデンティティを構築してしまうのは脆弱性を抱えることでありむしろそれは弱体化ではないか、真の強さとはメイクなど無くても己は常に価値があるという精神性を養う事ではないか。
例えば私は私の価値を賢さだと思っている。賢くない私は生ゴミでしかない。だからこそ私はいつか訪れる賢さを失う時のことを十分に考えなければいけないし、全てを失った生ゴミの私も肯定しなければならない。
価値あるものは全ていつか失われることに思いを馳せるのがサピエンスの責務。

でもそっか、普通の人ってもしかしたら毎晩寝る時に愛する人の死にざまとか想像しないんか。老いて壊れていく様をあるいは誰にも看取られずに腐敗していく様をまなかいに描いてそうだ生命保険の見直ししないと、とか考えながら眠りにつくとかないんか……?むしろいつも何考えながら寝てるんだ?